1990年2月ねっとわあく死刑廃止第0号より抜粋
申し訳ないですが、私の時間の関係で、興味が出た部分のみ抜粋します。筆者の方のお名前はイニシャルにするか、もしくは、載せません。それと、私がここに載せたからと、内容を私が全部理解してるとか、全部私の頭の中に入ったわけではないので、ご容赦ください。それと、誤字脱字もご容赦ください。
興味がある部分のみ、ブログ管理人である私が太字にしました。
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外出先から、スマホでこのブログを見ると、
「あ、誤字が…」
と、けっこう、誤字を発見します。
例を挙げると、「風人社」を、ずっと“風人者”と打ち続けて放置していました。
その「風人…」については、昨晩、全部修正したつもりです。申し訳ありませんでした。
誤字は、また見直して、修正していこうと思っております。 . . . 本文を読む
(その1)から続く
さて、われわれは「死刑囚仲間との共闘」というときの、その共闘の中味を再検討すべき処にきている。われわれはあくまで、「死刑囚」を人民の仲間とみる。然しそれだけで全ゆる死刑囚と「共に闘える」とはいえない。事件と自己をとらえ返し、真剣に生きようとする死刑囚の仲間の闘いと、自己の存在の問い直しの上にたったわれわれ自身の闘いとが重なりあったところで「共闘」は成立するのだ。
「無実」 . . . 本文を読む