それでも永山則夫が好きだ(スピンオフ)

「ねっとわあく死刑廃止」や、無期懲役囚で「とらえなおし」で知られる飯田博久さんや、小松川事件の李珍宇のことを書いたり色々

1992年6月20日ねっとわあく死刑廃止第14号…田中慈照さん…田中慈照さん!?

2017-02-04 19:49:50 | 会報『ねっとわあく死刑廃止』

1992年6月20日ねっとわあく死刑廃止第14号より

申し訳ないですが、私の時間の関係で、興味が出た部分のみ抜粋します。それと、私がここに載せたからと、内容を私が全部理解してるとか、全部私の頭の中に入ったわけではないので、ご容赦ください。それと、誤字脱字もご容赦ください。 

 


 

ねっとわあく特派員の旅

瀬戸大橋を渡るブルートレインの行く手に、朝もやを通して讃岐富士が浮かび上がってくる。

同じルートで今年、全国合宿に向かう人は、四国の入口で同じ景色に出会うはずです。家族で四国の仲間、旧友を訪ねたあと、連休明けに高松刑拘置区で面会したFさん(死刑控訴中)の言葉。本当に、山と海、そして島々のおりなす四国の風景は、日本画を見るような独特の趣きがあって印象深いが、全国合宿の会場である国民宿舎栗林山荘から見た屋島の遠望は、それとはまた違った迫力があった。高松市街を見下ろす山の中腹にあるこの会場は、高松駅から車で約15分、バスだとさらに約20分の歩きになる(私は高松の田中慈照さんの車で連れて行ってもらった)。

181名収容できる大会議室や食堂など、施設は充分ととのっており、しかも市街地から難れた「穴場」だそうだ。飲食物の持ち込みについては、「まあ、構いませんとは言えないですがねえ。」と係員。しかし「先例があるから大丈夫」と田中さん。市街地までの買出しの体勢を忘れずに。翌日、ちょうど高松でPKO法案反対のデモがあった。76歳の稲たつ子さんが発起人。「稲さん一人にまかせるわけには」と、20数名が集った。

じつに様々な職業、年齢の人が、それぞれの個性をフルに生かして思い思いのゼッケンやプラカード、旗を持って、商店街をビラをまきながら「PKO法案はんたーい!」と訴える。「自衛隊の海外派兵は戦争への道」『”平和維持”のためには―銃を手にすべきではない』『朝鮮やベトナムを侵略したアメリカの言いなりになる国連の人殺しに何で協力せないかんのや!』等々のビラの言葉も、みんなの寄書き風。

土地柄がよく出た手作りの運動だが、集まった人達はもちろん死刑も反対。何人かは全国合宿に参加するだろう。(このデモのことは朝日め全国版に載っていた) 四国フォーラム実行委は様々な困難と、四名いる未決死刑囚の救援というこれまた困難な課題をかかえつつ、頑張っている。そのメンバー、Fさん親子と私達一家は、松山在住の旧友の案内でハイキング。眼下に瀬戸の島々、すぐ足下には『坊っちゃん』のターナー島、遠くは石鎚山を望む絶景を堪能した。「一体どこが特派員?」―いや、そめ折の子供達の情景をしっかり、7.11フォーラムのポスターに活用しました。(T)

抜粋以上

 



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