それでも永山則夫が好きだ(スピンオフ)

「ねっとわあく死刑廃止」や、無期懲役囚で「とらえなおし」で知られる飯田博久さんや、小松川事件の李珍宇のことを書いたり色々

1992年4月20日ねっとわあく死刑廃止第15号…死刑廃止条約を葵の御紋の様に使っていいのか

2017-02-03 22:31:13 | 会報『ねっとわあく死刑廃止』

 

1992年8月20日ねっとわあく死刑廃止第15号より

下の抜粋文は、

1992年6月20日ねっとわあく死刑廃止第14号…『死刑廃止条約』を利用して何が悪い?

上の反論文のようです。


 

「方便としての死刑廃止条約」について                    

岩井信 

前号に井上さんが、拙文「方便としての死刑廃止条約」についてご意見を寄せてくださった。まず感謝したい。 

私は決して死刑廃止の動きに「水をさすばかりか、気勢をそぐ」意味で書いたつもりはなかった。もしそうなっていたら自分の文章力のためである。私が意図したことは死刑廃止条約を相対的にとらえることによって、むしろ私たち自身の死刑廃止への考え、思い、姿勢をより深めたいと思ったのである。「死刑恥t条約」を「錦の御旗」にして死刑廃止を迫っていくのは、水戸黄門が「葵の御紋」を振りかざすのに似ている。つまり、それ以上「有無をいわせないJ」圧迫を与えがちである。何も言えなくなってしまう。 私はアムネスティ事務局という「国際的な人権団休」で活動し、また報道機関こも接しやすい立場にいる。そうすると世界の死刑廃止への動きや国連で死刑廃止条約が採択されたことを語ることが「期待」されるし、実際そうしている。今後もそのような話をするだろう。しかしこうした言葉はひとり歩きして、「世界は死刑廃止だから、日本も死刑廃止を」式の議論になってしまう。

これでは、「世論は死刑存置だから、日本も死刑存置を」という似た議論になりやすい。

ここからは、自分が変わる契機がないように思う。あくまで問題は「世界」であり、「世論」であり、そこには自分がいないからだ。だから私はそういう自分をずらすために拙文を書いたのである。 路上で、電話で、手紙で、死刑賛成の人と話をする機会が増えてきた。また法務省の役人や国会議員の人とも死刑について話をすることもある。そうした時自分でも嫌になるのは、自分は死刑廃止で相手は死刑存置という単純な図式ができてしまうことだ。

もし相手が死刑廃止になってほしいと願うなら、それは逆に自分が死刑存置になるかもしれないそのぎりぎりの可能性の中でしか実現しないと思う。

自分の立場が変わらないで、相手だけを変わらせようとする話し方は、ある意味で国家に「正義」があって、(国家の名のもとで死刑が正当化される)「錦の御旗」を振りかざす考え方に通じると私は思う。 目の前に法務省の人がいる。もし自分がその人の立場にいたらどう反応するだろう。やはり同じように官僚的に答えるのだろうか。すぐ流されやすい自分を考えると、何だかあまりえらそうなことは言えない。目の前の人にも生活があるはずだ。でもその言葉がでてこない。それま自分もまた向こうから言えば運動の官僚的な言い方をしているように思われているのだろう。

そして「死刑廃止条約」にすべてをかけるような議論も、普遍の真理を強要するという「相手に有無をいわせない」という雰囲気において、これに通ずるのではないか。私は少しそれをずらしたい。「柤対化」させたいのである。人間の言葉で語り合いたい。そのため、不遜かもしれないが「方便」という言葉を使った次第である。 もちろん現在の「死刑廃止国際条約の批准を求めるフォーラム90」に批判的であるということは全くない。

むしろ今後も積極的に死刑廃止条約の批准を求めていくし、フォーラムを推進していきたいと考えている。井上さんも目に見えるかたちとしての方便に言及されている。死刑廃止条約にある限界を十分認識し上で(例えば戦時の死刑条項容認もありうる点)、目に見える「方便」として実現した死刑廃止条約をきっかけに、具体的にしぶとく運動を展開していくことが必要だろう。相対化し、かつ大事に使うという醒めた情熱を通じてこそ、大きな意味を死刑廃止条約から引き出すことができるだろうと私は思う。私にとって死刑廃止とは、「正義」や「真理」の名のもとで自己を正当化して相手を圧迫するような社会が嫌だということにはじまるからだ。それは死刑廃止を実現する過程にもあてはまる。

抜粋以上

 



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