それでも永山則夫が好きだ(スピンオフ)

「ねっとわあく死刑廃止」や、無期懲役囚で「とらえなおし」で知られる飯田博久さんや、小松川事件の李珍宇のことを書いたり色々

(序章)小笠原和彦著『李珍宇の謎』…大人しい被逮捕者は冤罪を被せられてしまうことがある

2017-04-30 12:26:07 | 小笠原和彦著『李珍宇の謎』

(はじめに)から続きます。

李珍宇について

・1958年4月20日、賄い婦の田中せつ子さんが殺害される。

・1958年8月17日、東京都江戸川区の東京都立小松川高等学校定時制に通う女子学生(当時16歳)が行方不明になる。

・1959年2月27日、李珍宇(在日韓国人)は犯行時18歳であったが、「賄い婦殺人事件」も含めた殺人と強姦致死に問われ、に東京地裁で死刑が宣告。

・二審もこれを支持、最高裁も1961年8月17日(被害者の命日)に上告を棄却し、戦後20人目の少年死刑囚に確定。事件の背景には貧困や朝鮮人差別の問題があったとされ、文化人や朝鮮人による助命請願運動が高まった(自白だけで物証がなく冤罪という説もあった)。

・1962年11月16日に異例のスピード執行された。

 

小笠原和彦著『李珍宇の謎』という著書…。序章ではどんなことを書いてるか、私が印象に残った部分を情報を補足しつつまとめます。(以下の写真は、その著書の目次)

 

【小松川事件は、女子高生殺しの方が有名で賄い婦殺しの犯人であることはあまり有名ではない】

小松川事件とは、1958年(昭和33年)に東京都で発生した殺人事件。小松川署捜査本部は9月1日に工員で同校1年生の男子学生・李珍宇(当時18歳)を逮捕した。のだけれど…事件から24年過ぎた1982年に出版された築山俊昭著『無実!李珍宇―小松川事件と賄い婦殺し』によると、無実(冤罪)で彼は22歳のときに死刑になってしまったのだという。

また、「ああ、小松川事件って、在日韓国人少年が女子高生が殺した事件ね」と広まってしまって、なぜか、賄い婦(家政婦さん的なもの?)の殺害も含まっているというのが、あまり有名ではない。(管理人の私も、イコール女子高生殺し事件だと思ってました)。

李珍宇は、全ての犯行を認めていたが、弁護団は姦淫の事実が無かったことと、死刑制度の是非を弁論の中心にすえ、争った、が、最高裁の判決は死刑で終った。わずか3年のスピード裁判だった。

 

【大人しい被逮捕者は、取調べ室で刑事たちから冤罪を被せられてしまうことがある】

これは、小松川事件のことではないが…1981年6月14日に起きた「みどりちゃん事件」というのがある。これも、犯人として、中学3年生の男の子が逮捕されたのだが、犯行を否定せず、そのまま少年院送りにされてしまった。

オチから言うと…その少年も冤罪なのだが…どうして犯行を否定しないのかというと、刑事からの取調べが長時間で苛酷であったことや、少し知的障碍があったため、人からバカにされないために、あまり自己主張なんで「うんうん」うなずいてしまったことが要因だったらしい。(ちなみに、管理人の私も、死刑制度問題に触れていると、そういうネタはよく聞きます。)

この記事は(第一章)に続きます。

 

以下、管理人から

よく、人が逮捕されると、マスコミがいらん情報までつけて被逮捕者を『悪人だ』と印象つける報道を行い、ネットでは「死刑にしろ!ワーワー!」とお祭り騒ぎになりますが、「そういうのはいいかげん、やめろ」という感じ。逮捕された時点では容疑者でしかない。

また、性犯罪のときだけ「冤罪だ」と騒ぐ例の男達がいますが…彼等は人権派でも何でもない。彼等の目的は、“女性達から発言権を奪い、性犯罪を軽く見積もってもらえる社会、男尊女卑を徹底させ、男達が性犯罪をやりたい放題の社会にしたい”と目論んでいるだけ。「冤罪になると、男の人生が台無しにされ」とか、あれは屁理屈。彼等は「冤罪が怖い」と言いつつ、冤罪を下げる効力を持ちさらに性犯罪防止対策の女性専用車両にまで反対している(あれは男が乗れない車両があるのが気に食わないだけ(笑))。そして彼等は性犯罪被害者のPTSDの話も絶対にしたがらない。あまりに彼らは正義感に欠け、彼等の意見には矛盾が多すぎる。人格が正常な人権派や死刑反対派であれば、性犯罪以外のカテゴリーの犯罪についても、平たく「冤罪の可能性もある」と冷静に意見を述べます。ですので、私とあの冤罪厨一緒にしないでください

 

 

 

 



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