都市と楽しみ

都市計画と経済学を京都で考えています。楽しみは食べ歩き、テニス、庭園、絵画作成・鑑賞、オーディオと自転車

ソーシャル・キャピタル:都市・企業・雇用を考える

2009-05-16 16:42:59 | マクロ経済

社会を「つきあい」(知らない、知っている、何でも知っている)と規模(小規模(ムラ)、中規模(まち)、大規模(都市))に分けて考えてみよう。昔は都市の匿名性として(知らない)×(都市)が多かった。なぜなら(何でも知っている)×(ムラ)があまりに煩雑である反動であったように思う。<o:p></o:p>

最近言われている、ソーシャル・キャピタルは(知っている)×(まち)の規模のようだ。緩やかな地縁と協働を志向しているのであろう。このように都市の生活もまずは極端に合理的となっていたが、低成長になると中庸を目指すことが分かる。いまや都市のムラ化(モザイク化)が起こりつつあるが、それはマチという「中間」を目指している。超高層のニュータウンから、都心高密・複合居住への転換もその動きの一部であろう。<o:p></o:p>

 また企業は両極端であった。合理性と短期利益志向の企業(主にアメリカ系)は調達も入札や価格重視であった。その反対が、企業間の関係、長期利益志向の「株式持合い型」企業で互恵取引や貸し借りを重んじていた。今回の経済変動では、アメリカ系の凋落があるかと思いきや、やはり利益追求で「株式持合い型」は少なくなりつつあり、逆に「株式持合い型」の企業群は一層相互扶助と相互規制が強くなっている(グループ志向が強くなる)感もある。企業は古い相互扶助の「ムラ」と国際企業の「都市」の両極に分化し始めているのかも知れない。<o:p></o:p>

 雇用についても高度経済成長時の終身雇用が「ムラ」的であるとすると、今は、短期・合理的過ぎる「都市」の状況だろう。その間というのを模索しているのが現状であろう。<o:p></o:p>

このような、都市・企業・雇用についてやわらかい「まち」のあり方が欲しい。具体的には、お互いが知り合う「まち」の住まいと柔軟な雇用方式と機会の提供であろう。<o:p></o:p>

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