労作でまとまりが良い。知見を羅列する
・売春婦は、遊女、女郎(呼称として多かった)、娼妓、商売女、売女、玄人、傾城
・公娼:吉原と宿場(江戸四宿:品川、内藤新宿、板橋、千住)の飯盛女→飯盛旅籠屋、普通は平旅籠屋
・私娼:岡場所(非公認、取締あり)神社門前では根津、音羽、谷中(感応寺→天王寺)、仲町(永代寺)、赤坂氷川、芝神明、赤城、市川八幡前、回向院前
・私娼のその他の種類:夜鷹(上方では総嫁)、舟饅頭(苫船)、地獄(素人売春:出会茶屋など活用で差配が要る)、芸者(の一部、不見転)、比丘尼(びんざさらを鳴らすのが本業、ついでに夜は)、地物は素人女→地獄とは別で素人遊び
・遊里では廻し(一晩数人の客)が常態化、割床(大部屋を衝立で仕切る:8畳に3,4組の布団)
・性病に無防備、無知
・遊女は年季明けでも家事ができない、子供ができにくいため妾か大店の妻が多い
・関西の遊郭:京都島原、伏見夷町・柳町、大津馬場町、奈良鳴川、堺北高洲町・南津町、大坂瓢箪町、兵庫磯の町
・江戸の色町は湯女から
・吉原:妓楼と揚屋、妓楼から揚屋に行く行列が花魁道中の発祥、後に太夫廃止、揚屋制度も廃止し妓楼に直接に変化
・吉原は観光地、表の妓楼が格式高く、端にある河岸見世は安いと区分
・遊女の階級:花魁では呼出し昼三(揚代 1両1分:12万5千円に諸経費は数倍)、昼三、座敷持、部屋持 新造では振袖新造、番頭新造(雑用係)、禿(見習い)、遊女は教養と性技が必要、除毛
・三回目に肌を合わせるは嘘、初会から(でないと儲からない)→俗説が流布 初会、裏、馴染み
・楼主は忘八、遣手は憎まれ婆
・揚代は昼間利用が高い(お昼にちょっと)、夜は飲食で稼げるため安い
・四六見世はちょんの間、4尺5寸の間口、6尺の奥行き、10~15分で百文(1,500円)
・深川七場所:伏玉は女郎屋に上がる、呼び出しは料理屋で酒宴と奥座敷で遊女と同衾、船頭が段取り
・上野山下には火除地があり、見世物、茶屋と「けころ」のいる女郎屋
・陰間は男娼、芳町が有名、通和散が潤滑剤
・根津遊郭は洲崎パラダイスへ→東大ができたため
必読の書だ。
最近性に対する活力が停滞あるいは後退してきているように感じる。
かつては夜這いと言う風習があった。
四国の某エリアでは、ある年配の方が、「あのあたりは、ムスメで嫁に行くもんがおらん。・処女でお嫁に行く人がいないの意味」とその地に転居する若い方を心配する声を聞いた。又その地で女性と飲みに行って寝ないと失礼になると忠告された事もある。
もっと以前は県の偉い人が来ると家の娘を夜伽に出したそうだ、
戦後からバブル崩壊までの期間が、多様な風俗が産まれ爛熟した時期のように思う。
その時期に生まれた、性生活報告と言う雑誌は読み応えがあるが、以前のような活力や創造性が落ちてきていると感じる。
草食男子が増えたそう、これが時代と言うものかも知れない。