最近、企業の動向・分析を見ていると現代・近代・近世の三種に分かれるのではなかろうかと考えた。定義は、<o:p></o:p>
現代:国際企業、輸出企業、競争と合理化が発達する<o:p></o:p>
近代:変革中の大企業、歴史と伝統、成功体験からの脱皮など新旧のせめぎ合い<o:p></o:p>
近世:旧来のシステム・様式を保つ、競争が強いられない業界や官公庁の一部<o:p></o:p>
このうち、現代型企業は合理化が進みすぎ、コスト削減で利益無き循環(製品は安くなるが、関係会社利益も少なくなり需要が低下する)に至っている。<o:p></o:p>
近代型は日本の「地場」か「参入障害で保護」されている産業で国内競合が主で、既存顧客の取り合いと企業間の繋がりを重んじる企業だ。国際と地場、合理性と義理人情の狭間である。<o:p></o:p>
近世はいわゆる「お役所」や「大企業子会社の一部」で過去の様式、親会社の様式にこだわる企業だ。独自の価値観、権益確保などの特徴が言われている。この特性は実は日本の中に多い。<o:p></o:p>
また、最近は「かつての時代はよかった」で回顧されているが、実は「判子が多すぎて困る」、「制度・組織が煩雑」というかつての弊害を思い出して欲しい。低成長の経済環境の中、権益確保の近世型企業となるのは最も効率が悪く、夢もなくなる。創造性、自由、変革が夢と革新(生産性の向上)を産む。中世ヨーロッパが技術革新のない停滞期が続いた原因は「社会制度」と「市民の不安」であったという。また、コンプライアンスやCS、エコロジーといった新しい規範も増え企業をとりまく環境は複雑化している。そして現在も経済の成長から安定の変革期だが、今こそ前向きで陽気さが欲しい。気がついたら、高層大型ビルの契機となった蛍光灯の発明もいまやLEDや有機ELが取って代わろうとしている。新しい変革は近い。<o:p></o:p>