中央に囲炉裏が切られた広い板敷きの室内空間の片隅が仕切られ、置き床の前に風炉釜が置かれて呈茶のお手前の最中でした。
平林寺の総門より少しだけずれて道路を隔てて睡足軒はありました。
間の道路は市役所もあるメインの通りで車はひっきりなしに通りますが、平林寺の境内林と睡足軒の森に挟まれ緑一杯でした。向こう側の金網の柵の下辺りに、野火止用水の流れの一部があると後で気付きましたが、確認出来ていません。
連休初日11日、久しぶりに爽やかな青空でしたが、所属のテニスクラブはイベントで午前中はコートが殆ど使えません。8月夏休み、9月4連休と久しぶりの連続休日で、やや遠出し過ぎの遊び過ぎでした。それでは近場でと、妻が前々から友人に聞いて訪れたいと言っていた「睡足軒」、開門の9時に合わせて行ってきました。
ここは近代の三茶人と称される益田鈍翁、原三渓、松永耳庵の内の耳庵こと松永安左エ門氏が「三渓の助けを得て飛騨高山付近の田舎家を敷地内に移築させ、これを草庵として、親しい友人を招き、「田舎家の茶」を 楽しんだ」と睡足軒のサイトにありました。丁度月に一度の市民呈茶会が催されていて、遠慮無く内部が観賞できると上がり込みました。おかげでじっくりと室内を眺め、お茶を頂き、席主ご自慢のお道具までも拝見して、妻は大満足でした。
同じ敷地内にもう一つの建物紅葉亭がありました。こちらは耳庵が菩提寺の平林寺に睡足軒を寄進して、新座市に貸与されるまでの間一時期座禅堂として使用されていたと解説にありました。丁度花展が開催されており、僧が参禅したであろう壁際に沢山の作品が展示されていましたが、座禅堂の造りが花展にはぴったりなのが何か“いとおかし”でした。
敷地内は自然の雑木林、武蔵野はこんな風だったのかと改めて認識しました。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます