大きい本堂!本堂前も広々として、日高の街が眼下に広がっている。
雷門と中門は由緒ありげな佇まいだったが、中に入ると庭園も庫裏も書院も、そして本堂も新しく大きい。傍らに大きく案内が書かれていた。『当寺は当地を開拓して亡くなった高麗王若光の菩提を弔うため、その侍念僧勝楽が751年(天平勝宝3年)創建、高麗王若光の守護仏聖天像(歓喜天)を本尊としたと伝えられます。その後僧秀海が法相宗から真言宗に改めて中興しました。2000年(平成12年)には、山腹に新本堂を建立し、同時期に在日韓民族無縁の慰霊塔を建立されました。(日高市掲示)』新築されたばかり・・・納得。
本堂への長い急な石段を登ると、そこには一対の金剛力士像がありその上には鐘楼が聳えていた。鐘楼の更に一段上には「在日韓民族無縁仏の慰霊塔」が僅かに覗いている。
急な石の階段?上りに撮り忘れたので上から覗き込む!下には阿弥陀堂が見えている。
本堂も鐘楼も一段上がっているので正に威風堂々!!
本堂脇にも一棟、庫裏は庭園に添ってあったのでこれも客殿の役割か?裏へ回るとかなり大きく、茶室風でもあった。
その脇には「雪山」がきれいな肌を見せていた。
本堂を新築するために裏山を整地したときに出てきた凝灰岩が露出した。雪山の肌に似ており雪山と命名された。本堂裏手には岩がむき出しになっており、かなりの造成だったことが窺われる。
さてそこで考えた。本堂脇の寄進の芳名板には韓国名が数多くあり、又、鐘楼を一段上がった所に在日韓民族無縁の慰霊塔があったが、漢民族を象徴するものはと?案内図には雷門向かって右手に「高麗王廟」があった。
高句麗王族若光の墓とされているが王族の真偽は定かでないとの説もある・・・そうだ。もっとも苦手な分野の一つ、歴史となるとチンプンカンプン!!王廟の先には権威を象徴するかのように庭園が設えられていた。
日暮は近かったが、すぐ側に今ひとつ立ち寄り先があった。
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