指揮者 神尾昇の一言

日々の生活の中でちょっとした事などがあったら、ちょろっと書き留めて行く、そんなブログです。

ある作曲家について

2009年04月23日 | Weblog

先日のMastinさんのコメント→≪「作曲家が苦労して生み出した音」という言葉に思わず反応してしまいました。僕としては、いわゆる「生みの苦しみ」とは、「創作それ自体」というよりは、その創作を支える基盤となるところの私生活および人生において不可避的に襲いかかってくる崖っぷちの苦悩の境遇だと思っています。いつ脱却できるのか分からないその崖っぷちを歩かないことには真の芸術は生まれない、と、自分に強く言い聞かせておかないと転落死の危険性があると思います。芸術は、人生は、重い。と思います。
(これは作曲家に限ったことではないでしょうね。本当は楽をしたいです)。≫

というコメントに私の意見を掲載させていただきます。
とある演奏会の打ち上げで「神尾さんはいいですね、ご自分の好きなことをお仕事にされて」と言われ、私は「え!?そうですか? それは当たり前のことではないのですか?」
と即答しました。その人は寂しそうな顔をされて「いや、多くの人は『生活のために』仕事をしているんですよ」と答えられました。
以前のブログで、プロフェッショナルは「三度の飯よりも好き」という究極のアマチュアリズムも持ち合わせていないといけない、と述べましたが、それはその通りだと思います。
だからサラリーマンの人もフリーターの人でさえも、自分の仕事に誇りを持ち、三度の飯よりも仕事の方が好き! となれば、日本の不景気なんてふっとんでしまうのではないか、と安易に考えてしまうのは危険でしょうか。
まあ、実際には恋人やお嫁さんから「私と仕事とどちらが大事なの!?」と言われて「いやあ、仕事はお金を稼ぐ手段だから・・」と言ってしまうのがオチかもしれませんがね。

さて、Mastinさんのご意見ですが、私は結構重く受け止めました。
特に≪その創作を支える基盤となるところの私生活および人生において不可避的に襲いかかってくる崖っぷちの苦悩の境遇≫というところに。冷静に考えてみると後世まで名前が残った作曲家で、生活が豊か(どこからが豊かでどこまでが豊かでないか、基準を決めるのは難しいですが)だった割合はどうなのでしょう。
Mastinさんは「作曲家は商業的なもの、例えばCMや映画音楽など、を書かなければ生活が成り立たない」と仰っていました。自分の書きたいものを書いているだけの作曲家は生活をするのが難しい、と。確かにそうだと思います。
ですので、Mastinさんがご自分の書きたい曲を書かれ、その初演を私にご依頼されてきた時は本当に嬉しかったですし、凄いことだなぁ、と思いました。だからこそ、その初演を迎えるまで禁酒する!ということに私も賛同して志を同じにしているのです。
ハッキリ言ってわれわれ演奏家も生活は決して楽ではありませんし、演奏することのみで生計を立てられる演奏家の割合は決して高くないと思います。しかし、作曲家はもっと大変だと思います。私の同級生の作曲家で、作曲家として名が売れ作曲のみで生活をしている人は正直ゼロでないでしょうか。しかも「作曲活動」している人もほとんどいないと思います。アレンジや、ピアノを弾くことなどで、或いは音楽活動そのものを辞めてしまった人も多いのではないかと思います。
<崖っぷちの苦悩の境遇。> 大変重い言葉ですが真摯に受け止め、背負いながら一歩ずつ歩いていきたいと思います。

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