漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

安楽死

2011年07月16日 | Weblog

経済規模で中国に追い抜かれたとなげく人の中に、
かっての昭和時代、
東京オリンピック前からの「高度成長期」を懐かしむ声があるが、

その「高度成長」の代名詞が「第38代・池田勇人首相」。

首相となって四年め、
「所得倍増論」の現実化で意気あがる池田首相は、

総裁選でも佐藤栄作氏に勝利し、
いよいよ長期政権かと思われた矢先に好事魔多し、ガンであることが判明する。

当時、ガンは不治の病と思われており、
医者も患者に告知せず、ウソをつき通すのが「医者のモラル」だった。

入院した国立がんセンターの主治医は、
間もなく始まるオリンピックの開会式に出席可能と発表したが、

それはガンであることを知らされていた国家首脳たちや、
医師団の「オリンピックを池田政権、最後の花道に」と云う配慮だった、

そのあたりのことを、
 柳田邦男氏著「ガン回廊の朝」はこう記している。
   
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池田は苦悩し決断しかねていた。

誰しもがそうであるように
池田もみずからの病気について、楽観的な見通しにすがろうとしていた。

前尾繁三郎は池田の身を案じて、
ひそかに(秘書の)伊藤を呼ぶと、
「おやじがどうしても辞めないといったら、止むをえない、ガンだというべきだ」といった。

 しかし、伊藤は反対した。

「それは最後まで避けるべきでしょう。
 あくまでも本人に辞任を決意させるように、努力すべきだと思います」

 池田が迷える心境を伊藤に語ったのは、十五日になってからだった。

「おれにほ、やり残したことがある。

 農業と中小企業の近代化だ。
 これまでほ所得倍増政策の面だけをやってきた。
 これからはとくに農業問題に取り組まなければいかん。

 日本の農業ほ、狭い土地にしがみつきすぎている。

 そのしがみついた生き方を、近代的なメスで切り離して、農地を流動化し、
 農業の単位を、経営として成り立つような規模に、集約化させるのだ。

   (中略)

伊藤は、 
(総理、あなたほ実ほガンなのですよ)という言葉がのどから飛び出しそうになるのを、癒命にこらえた。

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東京オリンピックの終了を待って池田首相は退陣する。

退院はその年末。
再入院したのは翌年の八月末、
それから二週間後、前首相池田は、多くに人に見守られながら逝った。

今となってみれば、
自民党は自らの支持母体である農民票に配慮しすぎて、
手術と云う荒療治が出来ず、

法的保護と巨額の予算をつぎ込む対症療法に終始しただけで、
農業改革は自民党にとって永遠の課題となったまま、いまだに解決されていない。

しかし、そのおかげで、
日本の農民や農業は苦しむことなく、
やがて来るであろう、「安楽死」を間近に控えているのかもしれない。

そのあとに再生するかどうかは分からぬが、
いずれにしても、それを私が見届けることはないだろう。










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