「そう云えば最近、
『歌謡曲』と云う言葉を、あまり聞かなくなったナ」と、
作詞家、阿久悠氏の著書を読みながら思った。
「流行り歌」に付いては様々な呼び方があるが、
「歌謡曲」となると、
「昭和初期以降、主に日本で作詞・作曲された大衆的歌曲」と辞書にもあるとおり、
「昭和の流行り歌」と云うことになる。
その特徴はと云えば、
昭和になって登場したラジオやテレビによって爆発的にヒットしたことや、
大人はモチロン、「子供から老人まで歌えた」ことだろうか。
先日亡くなられた池部良さん主演の映画「青い山脈」の主題歌や、
美空ひばりの「りんご追分」、
春日八郎の「別れの一本杉」、青木光一の「柿の木坂の家」、
三橋美智也の「達者でな」、舟木一夫の「高校三年生」、村田英雄の「王将」などなど、
上げればキリがないが、
いずれも当時の人なら大抵は口ずさんだ経験があるはず。
その「国民の歌謡曲」が、昭和も終わるころになって、
ニューミュージックや演歌と、
歌が分類されるようになるにつれ、ファンも細分化されるようになる。
子供は「アニメソング」、若者は「Jポップ」、
中高年は「演歌」と云う具合に、ぞれぞれがぞれぞれの歌を好んで聞くようになる。
曲の品揃えが豊富になり、
より個人の嗜好に密着した曲が聞けるようになったかわり、
時代を象徴するような「大ヒット曲」は出にくくなった。
考えてみれば、
歌謡曲には、「哀愁と望郷」がテーマのの歌が多いが
それは、昭和に生きた人が、
人生に耐えることを強いられたからだったろうし、
昭和人の心情にあったのだろうが、
時代が移り、
食べ物に不自由なく育ち、
誰もが高校ぐらいは行けるようになった世代にとって、
旧態依然たる歌謡曲は、心を打たなくなったのだろう。
それは、
昭和を活きた人間にとって淋しくもあるが、
きっと、
「なつかしくてせつない歌」が、
人々から忘れられていくことは、案外、いいことなのかも知れない。