○山田六衛門が父の腫れ物の事
下総(しもうさ)の国のうす井と云う処に、山田六衛門と云う侍あり。
あるとき旅の僧来て、この家に一夜の宿を求めける。
僧、寝る前に経を読もうとするに、
となりの部屋より「ムクムク」とうめき声のようなもの止むことなく聞えくる。
旅の僧もふしぎに思い、
あくる朝、六衛門に向かい、
「となり部屋にて、けものでも飼われておられるか、
夜通し、あやしげな声がしてあれば」と尋ねれば、
六衛門恐縮して、
「やはり聞こえ申したか、
恥ずかしながらそのうめき声と申すは我が親父殿にてござる」
その語るに処によれば、
六衛門の父、
一年前、急に患いついてしばらくすると、
初めは右の肩に人の顔のようなる腫れ物ひとつでき、
そののち左の肩にも同じ腫れ物できてより、互いにものを言い争う。
親父殿が左へ向けば、右の腫れ物「こっちを向け」と言う、
右へ向けば左の腫れ物「こっち向け」と言う。
両の腫れ物より「こっち向け、こっち向け」と責められるゆえ、
去年よりこのかたは夜昼なく起こされ、
そのたびに顔を振らねばならず、「向く向く」と言い暮らす始末、
初めは医者を呼び療治もし、
また、祈祷も頼めども一向にその快方の気配もなく、
「このごろでは困り果ててそうろう」と語る。
旅の僧、ことの始終を聞き終わり、
「さらばその人に会いたし」と云う。
「隣の部屋なれば」と案内して、親に会わせければ、
旅の僧、親に向かい、
「このような変化(へんげ)の腫れ物の出ずるからには、
さぞかし その云わく因縁(いんねん)があるはず、
心しずめて懺悔(ざんげ)したまえ」と諭せば、
親もうなずき、
「恥ずかしながら語り申す。
それがし一年いぜん、召し使う女に手をかけたれば、
妻、この六衛門の母なるが、いかにも嫉妬深き女にて、
かの下女を切り殺しそうろう。
かの下女、殺されてより三日も過ぎざるに、
右の肩に腫れ物でき、
それより七日のちに六衛門が母もあい果てたれば、
これまた、三日も過ぎざるにまた左の肩に腫れ物できて、
以来、両の肩より、こっち向け、こっち向け申すを、
一度も返事をせねば、
腫れ物 熱を持ちてうずきだせば痛苦たまらず、
絶えがたきゆえに、
この一年、ひまなく『向く向く』とばかり申しており申す」と語りければ、
旅の僧、この懺悔をとくと聞き終えて、
「然らば祈祷をしてまいらせん」とて、
肩を脱がせ、かの腫れ物に向かいて、華厳経を読み続けたまえば、
右の腫れ物破れて中より小さき蛇かま首を出す、
僧はいよいよ声を強めて経を読よまれければ、はや三寸ほど首を伸ばす、
僧は御経を読みながら、
この蛇をつかみ出し、
残る左の腫れ物に向かい経をよまれければ、
これも腫れ物破れて、蛇の首を出だすをつかみ出し、
二匹それぞれに塚を築き、
経を読みねんごろに弔われければ、かの腫れ物も平癒しけるとなり。
土地の者ども、
この塚を「りんき」と呼び、今も供え物を欠かさぬとかや。