「平和の達成」と云う願いを込めた命名にもかかわらず、
「平成」となってからの日本は、
二度もの大震災を経験しているが、
その二度とも、
時の首相は「野党暮らしの長かった政治家」で、
「危機に際しての指揮能力」と云う点で、疑問符がつくのは否定しきれまい。
例えば、平成七年の時の阪神淡路大震災に際し、
時の村山富市首相は、
記者団から出た「震災への対応」を尋ねる質問に対して、
「なにせ、初めての経験じゃからのう・・・」と言葉を詰まらせ、
そうでなくとも不安な国民を心細くさせた。
また今度の「東日本大震災」における菅首相も、
与党として、行政経験の乏しい政治家であるためか、
批判勢力としてのスタッフは豊富でも、
震災復興に不可欠な「財界」に有力なブレーンを持たぬため、
この国難に際しても「東北の経済復興政策」に見るべきものを打ち出せていない。
ただ、この二人には大きなな違いがいくつかある、
そのひとつをあげれば、
野党時代の村山が、主として裏方の仕事が長かったのに対し、
管が、表舞台でスポットライトを浴びることが多かったことがある。
村山政権が短いながらも一年半、
比較的安定していたのは、
「村山総理を支えようという」政治家・官僚がかなりの数居たからと云われている。
例えば、当時の自民党実力者、野中広務は、
「自分が目立とうとするのではなく、
かなりの部分、閣僚に任せておき、いよいよとなるとその輪の中に入っていく。
こういう総理を見ていると、
周囲の我々も、
自分を殺してでも協力しなければならないと思ってしまうンだよ」と云っている。
管さんは、首相に選ばれた時の知名度に於いては、
村山さんを凌駕しているが、
与党内のまとまりと云う点でははるかに劣るし、
地震以後、自分で任命した学者らとでさえ、たびたび衝突している。
そのあたりを眺めていると、
どうも、管さんは、
「汚れ仕事を嫌い、手柄を我が物にしたがっている」ように見えてしまう。
村山首相は、まだ続けることが出来たのに、
「それなりの歴史的な役割を果たした」として、
国民からは唐突に見える形で政権を一年半で投げだした。
そのあたりも大いに違うところだろうか。
最後にチョッといい話をひとつだけ、
なお、村山夫人は若いころ看護婦だった経験がある。
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村山富市がようやく政界から引退した後の平成十七年、
地元・大分市内で交通事故を起こすが、
元首相がみずから運転していることを知った国民は大いに驚いた。
ちなみに、阪神・淡路大震災のとき、
ヨシヱ夫人は村山にも内緒で被災地に赴き、
一般の人たちに交じって黙々とボランティア活動に従事していたという。
ある意味で似たもの夫婦なのかもしれない。
本田雅俊著 「総理の辞め方」
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