漫筆日記・「噂と樽」

寝言のような、アクビのような・・・

猪に乗った妻

2011年10月13日 | ものがたり

きのうに続き、江戸時代の京都で出版された本にある話。

尚、「三尺ばかり」は、1メートル弱。
   
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また同じたぐいの話は、

享保三年、十一月二十八日日の暮れ、

丹波の国、船井の村はずれにて、
大イノシシ腹に傷をこうむりて怒り走り、

八木村より南広瀬村に入り、
山本をめぐりて直ぐに山室村に向かい、鳥羽村を過ぐ。

一人、田を耕してありける者を引っ掛けて、なお荒れまさりぬ。

この時、木こり久兵衛なる者、
年六十四、薪(まき)を背負いて帰る処に出会いて、

俄かに避けかくれる処なく、
とっさに手近なる木によじ登り、地を離るることわずかに三尺ばかり、

イノシシ、着物の端をくわえて引き落としければ、
せんかたなく相あらがうことしばらくありて、久兵衛ついに土手下に落つ。

イノシシいよいよ猛りて、
噛み喰いて、
あまた所やぶられしかば、
しきりに助けを呼び叫ぶと云えども、答えるものなし。

この木こりが妻、年五十四、

夫の声を聞きつけ走り来て、
我が袂(たもと)をもって、猪の頭に覆いかぶせ、首すぢにまたがりて、抱え止どむ。

これによりイノシシ動くことを得ざる間に、
しきりに「我が命を救え」と呼ぶ。

ここにして、村民二人相次いで来たり、短刀をもて刺す、
また一人来て、
斧をもてその足を打つ。
ようやくにして人数あつまり、その疲れたるにのりて倒しぬ。

木こり久兵衛はついに生くることを得、月ごろを経て傷を癒やしぬ。

その所、丹波亀山藩の領地なれば
木こりの妻の烈婦を賞したまいて、御上より褒美を給うと東涯先生の筆記に見ゆ。

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「東涯先生」は伊藤東涯、
 儒学者、京の私塾「古義堂」の二代目。





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