たしか、むかし見た「刑事コロンボ」だったと思うが、
幕切れの場面になって、
刑事が真犯人を疑った理由を云う、こんなセリフがあった。
「私がね、あなたをヘンだと思ったのは、
そんなにお若いのに、死を恐がるようすが まったく見えなかったからですよ。」
実際、若い時は、
「自分が死ぬこと」など、
考えるさえおぞましいものだが、
不思議なことに、年を取って体力が衰えてくると、若い時ほどには怖くなくなる。
もっとも、こんなことは人によりけりだろうが、
まぁ、少なくとも、若い時よりは冷静に、「死を考えること」ができるようになる。
先日、何かで見た記事にあった、
「永世中立国であるスイスは、
中立をまもるため、
国民皆兵の体制を取っているが、
そのため、一般家庭にも軍事用の銃が常備されている。
最近では、その銃を使って自殺する人が増えて問題になっている。」と云う内容。
この記事を読んだ時、
「あ、自分で自分の死期を決められる道具が身の回りにあるのもいいかな」
なんぞと云う思いが、瞬間的にだが浮かんで、自分でも驚いた。
私自身は、
今の生活にそれほどの不満はなく、自殺を考えたこともないのだから、
これは、死が身近になってきた老人が、
日常的に死を考えるようになったゆえの、「ごく自然な発想」だったのではないかと思う。
今度の地震の報道の中に、こんな、記事があった。
津波を避け、
山のほうへ逃げようとした娘さんに対し、
一緒に連れて逃げたおばあちゃんが、途中で動けなくなり、
「私はゆっくり行くから、お前は先に逃げるんだよ」と孫の手を振り切った。
迷った娘さんだが、
いつもはやさしいおばあちゃんの、
あまりにも厳しい気迫のこもった顔つきと、
激しい声音に押されて、つい、一人で逃げてしまった。
結局、娘さんは助かり、おばあちゃんは亡くなってしまったのだが、
以後、娘さんは、
絶えずそのことが思い出され、
後悔し続け、いまだに自分を責め続けている、と云う内容。
でもね、お嬢さん、後悔することはないんだよ、
私がもし、
おばあさんとおなじ立場になったら同じことを言うよ、
おばあさんもきっと、あなたが助かったことで、満足してるはずだよ。
なぜなら、若い人と老人では、
命に対する重さが違うと、当の老人自身が思っているのだし、
いちばん悲惨なのは、
老若の死ぬ順番が、逆になることだと知っているのだから。
誰もが「いつかは必ず死ぬ」のだから、
時々思い出して、悲しんであげれば、それでいいのだと私は思うよ。