きのうの続き。
1万円札が初めて発行されたのは、
昭和33年(1958)だそうだから、もう半世紀も前のことになる。
当時は、子供の小遣いとして、
10円ももらえたら大喜びした時代で、
私の生まれた山村では、
ようやく、十円と書いた緑色の紙幣を見かけなくなり、
周囲にギザギザのある10円銅貨が、当たり前になったころだろうか。
従って、当時の1万円札と云えば、
「大変な値打ち物で、誰もが貰うのを嫌う」と云う時代だった。
これを説明するに、
当時と今の貨幣価値は、
20倍以上は違ったろうと思うから、
当時の1万円札は、現在なら「20万円札」と云う事になる。
だから、
当時の1万円札発行とは、
今なら「20万円札が新発行される」ようなものと思えば良い。
財布の中に、
「万札が20枚」で超リッチな気分のはずが、
「新札1枚で財布がペラペラ」、
これでは値打ちが同じでも気分が違う。
それだけでも情けないのに、又、これを使おうとするとタイヘン、
当時は個人経営の店が多かったから、
八百屋へ行っても肉屋へ行っても、「つり銭がないので」と断られる。
なぜなら、これら個人商店の一日の売り上げが、
1万円か2万円と云う時代なのだから、
一日の売り上げに近いような高額紙幣を持ち込まれても、
つり銭への対応が追いついていないのだ。
「こんな物、持ってくる方が常識はずれ」と云わんばかりの対応をされる。
もちろん、喫茶店や蕎麦屋でもダメ、銭湯にも行けない。
おカネはあるのに、
物も喰えないし、風呂にも入れず、クサイクサイ。(笑)
それは冗談だが、
1万円札など貰うと、仕方ないから、わざわざ銀行へ行って両替すると云う時代。
ゆえに、
「大変な値打ち物で、誰もが貰うのを嫌った」と云う次第。
1万円札が初めて発行されたのは、
昭和33年(1958)だそうだから、もう半世紀も前のことになる。
当時は、子供の小遣いとして、
10円ももらえたら大喜びした時代で、
私の生まれた山村では、
ようやく、十円と書いた緑色の紙幣を見かけなくなり、
周囲にギザギザのある10円銅貨が、当たり前になったころだろうか。
従って、当時の1万円札と云えば、
「大変な値打ち物で、誰もが貰うのを嫌う」と云う時代だった。
これを説明するに、
当時と今の貨幣価値は、
20倍以上は違ったろうと思うから、
当時の1万円札は、現在なら「20万円札」と云う事になる。
だから、
当時の1万円札発行とは、
今なら「20万円札が新発行される」ようなものと思えば良い。
財布の中に、
「万札が20枚」で超リッチな気分のはずが、
「新札1枚で財布がペラペラ」、
これでは値打ちが同じでも気分が違う。
それだけでも情けないのに、又、これを使おうとするとタイヘン、
当時は個人経営の店が多かったから、
八百屋へ行っても肉屋へ行っても、「つり銭がないので」と断られる。
なぜなら、これら個人商店の一日の売り上げが、
1万円か2万円と云う時代なのだから、
一日の売り上げに近いような高額紙幣を持ち込まれても、
つり銭への対応が追いついていないのだ。
「こんな物、持ってくる方が常識はずれ」と云わんばかりの対応をされる。
もちろん、喫茶店や蕎麦屋でもダメ、銭湯にも行けない。
おカネはあるのに、
物も喰えないし、風呂にも入れず、クサイクサイ。(笑)
それは冗談だが、
1万円札など貰うと、仕方ないから、わざわざ銀行へ行って両替すると云う時代。
ゆえに、
「大変な値打ち物で、誰もが貰うのを嫌った」と云う次第。