妙覚寺ニュース

広島妙覚寺の毎月のニュースを写真入りで紹介します。

9月25日(日)おみがき

2011年09月26日 | 年間行事

9月25日(日)13:30より、総代会、仏教壮年会、仏教婦人会の役員さんが集まり、仏具のおみがきをしました

10月の報恩講の準備がすすんでいます!

さて、9月21日より、中講の報恩講がはじまっています!10月に江南、11月に小古江、外海、そして12月に内海の報恩講が勤まります。最終日は12月21日の予定です。

 


9月11日(月) 親鸞聖人750回大遠忌法要参拝団ー3日目

2011年09月20日 | お知らせ

9月11日(月)8:00に山中温泉を出発!聖徳太子ゆかりの寺院、奈良「法隆寺」へ向かいました。

法隆寺のシンボルというべき五重塔は、日本最古の五重塔であり、国宝です。

奈良のお寺って雄大ですね。大陸的です!

今日は西院伽藍を歩きます。

親鸞聖人は聖徳太子を尊敬され、「和国の教主」と讃えられました。

大宝蔵館に入り、百済観音さま、玉虫の厨子等拝観しました。

大阪府太子町、叡福寺にある聖徳太子磯長(しなが)御廟にお参りしました。

親鸞聖人は19歳の時、比叡山を降り、磯長の聖徳太子廟にお参りし、夢告を受けられます。

滋賀県からバスでも相当な距離でした。聖人の御苦労がしのばれます。

3日間、御旧跡をまわらせていただき、先人の御苦労、御遺徳をしのぶ旅をさせていただきました。心に残る、思い出深い旅となりました。

以上で、750回大遠忌団体参拝団の全行程は終了しました。全員無事帰りました

 

 


9月11日(日) 親鸞聖人750回大遠忌法要参拝団ー2日目

2011年09月20日 | お知らせ

9月11日(日)8:20おごと温泉を出発!琵琶湖大橋を渡って、長浜に向かいました

黒壁通りです。なかなか楽しい町並みでした。

長浜御坊(大通寺)表参道から山門を望む。

大通寺とは

戦国時代のはじめ、浄土真宗の中興の祖と仰がれた蓮如上人は、他力念仏の教えをひろめるため、全国各地を伝道布教されました。近江国はその布教活動の最大の拠点であった上、元来信仰心の篤い土地柄でもあったため蓮如上人の教えは、またたくまに近江全域にひろがってゆきました。なかでも、坂田、浅井、伊香の湖北三郡は、真宗王国とよばれるほどまで教線をひろげてゆきました。その湖北三郡の真宗寺院の中核、それが「長浜の御坊さん」とよばれて湖北の人々に親しまれている大通寺です。

大谷派について

元亀元年(1570)、本願寺法主顕如上人は、本願寺の総力を結集して、織田信長の圧力をはねかえす決意を固めました。全国の本願寺門徒が上人の呼びかけに応じて決起し、大坂の石山本願寺において石山合戦が始まりました。天正8年(1580)3月、顕如上人と織田信長の間に和睦が成立しますが、顕如上人の嫡男(ちゃくなん)の教如上人は、徹底抗戦を主張して諸国に檄(げき)を発しました。教如上人と親交の深かった湖北の門徒は、これに応じ、教如上人とともに戦いました。

慶長7年(1602)、教如上人は、徳川家康より本願寺分立の許可を得て、大谷派本願寺(東本願寺)を興されました。

長浜別院大通寺について

これにともない、長浜城の旧地に移っていた当寺は、道場から、大通寺と号する寺院として新たに発足することになりました。慶長11年、寺地を現在の地に移し、伽藍をかまえることになりました。寛永16年(1639)彦根藩主井伊直孝の援助を受け、寺域の拡大をはかるとともに、本山(東本願寺)から伏見城の遺構と伝えられる、本堂や広間を譲りうけ、現在の伽藍が整備され、真宗大谷派の別格別院となったのです。

 

 

    

長浜大通寺の山門です。真宗大谷派の長浜別院です。趣のある山門ですね。

山門の前にいらしゃるガイドさん、楽しく、面白く、素晴らしいガイドで3日間楽しませていただきました

本堂、大広間は伏見城の殿舎を移築されたものだそうです。 

寺伝では、伏見城の殿舎を徳川家康より東本願寺第12代教如へ贈られ、東本願寺の御影堂として用いたものを、承応年間(1652年〜1654年)に移建したものと伝えられる。

 

本堂にお参り致しました。

     

 長浜御坊の本堂です。              大広間の玄関です。

       

伏見城の遺構と伝えられる書院。

 

 14:00すぎ、東尋坊に到着。すごい断崖絶壁ですね。サスペンドラマによく登場するところですね。  

濱尾さん御夫妻です。

      

そのあと、吉崎御坊にお参りしました。                     

吉崎御坊の如来さまです。

       

 吉崎御坊が火事で焼けた時のこと、燃えさかる火の中に飛び込み、お堂に残された『教行信証』を自分のいのちと引きかえに守りぬいた本向坊のお墓にお参りしました。「嫁おどし肉附きの面」のお話も聞きました。

第8代蓮如上人は戦国のさなか、『御文章』による伝道、また勤行を「正信偈・和讃」に定め、門信徒とともに唱和しつつ、理解できるようにして下さいました。蓮如上人の伝道布教により、浄土真宗は新しい村づくり運動の精神的支柱ともなり、このようにして講組織が誕生し、全国にひろまっていったのです。蓮如上人は私たち門信徒にとって、中興の祖と崇められています。

眼下に見えるのは北潟湖です。

比叡山延暦寺などの迫害を受けて京から逃れた本願寺第8世蓮如上人が、北陸における布教拠点として越前吉崎にある北潟湖畔の吉崎山の頂に建立されたのが吉崎御坊です。

吉崎山(御山)とは、北・西・南の三方を北潟湖に囲まれ、天然の要塞とよばれています。吉崎御坊にしても、石山本願寺にしても、蓮如上人は素晴らしい場所を見つけておられますね。

宿泊は山中温泉翠明でした。ドラマ「はるちゃん」の舞台になった旅館だそうです。

山中節の踊りもありました

広い旅館で迷路のようでしたね。2階のお部屋から3階に上がって、フロントから地下にエスカレータで降りて、またエスカレータで4階の温泉や5階の宴会場にいかなければならず、うろうろしてしまいした。昼間たくさん歩いたのに!という声もありました

とはいえ、温泉には夜と朝と2回つかり、満喫しました