妙覚寺ニュース

広島妙覚寺の毎月のニュースを写真入りで紹介します。

3月18日(日)ありがとう飛渡瀬小学校閉校記念イベント!

2012年03月19日 | 飛渡瀬自治会

 

3月18日(日)飛渡瀬小学校の卒業式・閉校式が執り行われ、134年の歴史を閉じることになりました。

午後12:30より自治会主催の閉校記念パーティーが開かれました。

山田自治会長のご挨拶により開会しました。

江田島市の中心地にある飛渡瀬小学校が閉校するなんて、なんともさみしいですね。

これからは、となりの小学校から子供たちの声が聞こえなくなります。

 出席者のスピーチや思い出の映像を見ながらのお食事会でした。

小学校の生徒さんのテーブルです。4月からは江田島小学校に通うことになります。

最後に「飛渡瀬小学校の校歌」と「仰げば尊し」を歌ってお別れしました。

ありがとう飛渡瀬小学校!


3月7日(水)研修旅行2日目!

2012年03月12日 | 妙覚寺慈光会

2日目は浄土宗の本山、久留米の善導寺にお参りしました。

善導寺の三門です。

法然上人の800回忌にあたり、書院と境内はあちこち工事中でした。

正面にみえる建物は、釈迦堂です。 

この大楠の木は県の指定天然記念物であり、樹齢は800年だそうです。

すごい迫力です。 

善導寺は、法然上人の直弟子聖光(しょうこう)上人が開かれた浄土宗の本山です。

聖光上人は「淨土宗の第ニ祖上人(浄土宗二代様)」ともいわれています。
また、聖光上人の呼び名の他に、「鎮西(ちんぜい)上人」、「弁長(べんちょう)上人」などがあります。


本堂にお参りしました。

本尊は阿弥陀如来で、鎌倉時代の作である。像高は90.3㎝。
両脇侍は、向って右に観世音菩薩、左に勢至菩薩、いずれも座像である。

 

本堂から大楠の木が見えます。

 

久留米の石兆亭でランチをいただき、帰路につきました。

楽しい充実した2日間でした。


3月6日(火)佐伯沖組仏教壮年会連盟研修旅行!

2012年03月12日 | 妙覚寺慈光会

佐伯沖組の仏教壮年会は七里恒順和上のお寺、博多の万行寺さんにお参りしました。

西本願寺の学匠・七里恒順師は、九州博多の万行寺の住職で、その名は一世を風靡しました。
天保6年(1835)、新潟県の本願寺派明鏡寺に生まれ、14歳から、新潟県内の勧学(本願寺の最高学位)について真宗教学を学ばれました。20歳で、大分県下の勧学(かんがく)を訪ね、さらに教学研究に打ち込まれました。

門をくぐると、「お念仏しなされや」という恒順和上の言葉が刻された碑があり、本堂に入ると、師の大きな写真とともに「お念仏しなされや」のお言葉がかかげられていました。

七里恒順師は30歳から布教生活に移り、福岡県博多の万行寺に入った。由緒ある寺であったが、このころは、昔日の面影はなく、荒れはてていたそうです。
七里恒順師は、まず、寺内に私塾「甘露窟」を開き、青年学徒の教育に着手した。
同時に、対象者別に、各種の聞法の会合を設けるというユニークな形で布教を進めた。寺族を教育する「坊守講」、近隣の紳士階級を対象に「恵以真会」、一般の人向けの「要籍会」、少年向けの「教童講」など、ハッキリ的を絞った。なかでも、子供への法話会は新たな試みで、毎月七の日は男子、四の日は女子の集会日と定め、六歳から十五歳までの男子200名、女子400名が集ったといわれる。

七里恒順和上(しちりごうじゅんわじょう)は明治の大徳と慕われ、全国の求道者の間に「法を聴くなら万行寺へ」と多くの人々が諸国から、この博多の地にご法話を聴きに来られたそうです。当時は「万行寺のお宿」といわれる門前町(祇園町、矢倉門町)に旅館が三十数軒、軒を並べていたといわれています。

万行寺さんで記念の一枚!

博多の万行寺さんの次は博多の光専寺さんへ向かいました。

 

光専寺さんにお参りしました。光専寺のご住職、城先生は佐伯沖組の中町徳正寺のお生まれです。

本堂でお勤めのあと七里恒順和上についてお話いただきました。

 

庫裏でお茶をいただきました。素敵な設計の庫裏でした!

 このあと今夜の宿舎原鶴温泉、泰泉閣へ向かいました。