明源寺ブログ

浄土真宗本願寺派

西方に思う

2010-02-25 23:51:20 | Weblog
昨日、西方のタイトルにて、『仏説観無量寿経の日想観(にっそうかん)』について、少しふれました。浄土真宗に、かなり関心のある人であれば『仏説観無量寿経(略して観経=かんぎょう)』とくれば、中国の唐時代(8世紀)の人である善導大師(ぜんどうだいし)を思う筈。
人間には、基本的に理論的な人と情感的な人がいると思われる。善導大師は、間違いなく情感の人。私も、誰が見ても情感多き人間。故に、善導大師に限りない共感をいだく。
善導大師は、『仏説観無量寿経』を専らにして、中国浄土教の最盛期をつくあげた人。そして、この核心になったのが『仏説観無量寿経』を解釈した観経疏(かんぎょうしょ)四巻。
彼の「観経」の解釈は、画期的であった。「極悪人を含めたすべての凡夫すらも、阿弥陀仏のお誓いの力により間違いなく浄土に往生できると強調」したのである。
しかれば、彼はいかにして熱烈なる信仰を大唐帝国の都である長安(ちょうあん)の人々に宣布したのか?
彼は、観経疏の第1巻玄義分(げんぎぶん)の冒頭(ぼうとう)にて、次のように宣言する。
=先勧大衆 発願帰三宝= 
現代訳【まず勧(すす)む 大衆よ 発願し 三宝に帰(き)せよ】と宣言した。この宣言にて、みずからが「観経疏」を書こうとした理由・目的をあきらかにしたのである。
以下、漢字五字で、十八偈を高らかに歌いあげた。この部分を「帰三宝偈(きさんぽうげ)」と称し、浄土真宗では、お葬式の際に「出棺勤行」のお経として、今も使用されている。そして、回向句と称して必ずお経の最語に称(と)える「願似此徳 平当施一切 同発菩提心 往生安楽国」も、「帰三宝偈」の最後の四偈からとられているのである。
明日は、「帰三宝偈」の本文をいただこう。写真は、善導大師。



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