よこた とくお氏について、今回は はてな から引用させて頂きました。
本名は横田徳男。1957年から1960年までトキワ荘の住人だった。
『日本史できごと365日事典』『世界の偉人まんが伝記事典』『クイズきまりことば』『まんが方言なんでも事典』『はじめはじめのそのはじめ』『おもしろトイレ物語』など、多くの学習漫画を手がける。
少女漫画家として『マーガレットちゃん』という作品を週刊マーガレットに掲載していたこともある。
『マーガレットちゃん』私覚えてます。絵柄もストーリーもほのぼのタッチでした。
週刊マーガレット・少女フレンドは毎週のように読んでました。なんたって3姉妹いれば買ってくれますよね。おまけに弟二人も読んでいた。当時の少女まんがを覚えているんじゃ無いでしょうか。少年まんが雑誌も時々買ってもらっていたので、「少年」 「少年画報」 「少年キング」 「少年サンデー」 「マガジン」 と、いろいろ読んでいた記憶が・・・。それはさて置き。
「トキワ荘物語」 ⑦ よこた とくお
例によって、黒字は作品中のセリフ及び文章の引用となっています。
表紙は作者自画像 (もちろんまんが) 横広、目が^^の線、団子鼻の特徴あるお顔が全面に。なぜか枠や題字の字体はボロボロです。古いという事をあらわしているのか。
原稿が散らかっている中でイビキを掻きながら寝ているよこた氏。赤塚氏がごはんだよ と起こしに来るとガバッと はいよ 赤塚氏の母上が石森さんも呼びなさいというと、赤塚氏、おもむろに壁をたたいて隣の石森氏を呼びます。みんなでいただきます !!
とき=昭和31年 ところ=トキワ荘 当時ぼくと石森氏は赤塚氏のおかあさんに食事やせんたくの面倒をみてもらっていた。
ニンジン嫌いな赤塚氏のおかずを 「赤塚氏は好き嫌いが多すぎるよ、ねえ」 と他のおかずまでいっしょにガパッと食べてやる。
トクちゃんは仕事は遅いけど食べるのは早いね と石森氏
なにしろ 口が大きいもんな と赤塚氏、悔しそう。
ガハハハ くちだけじゃなくてハナのあなも大きいよん 指をハナのあなにスポッと入れてみせるよこた氏
わ、きたない 石森氏
食後は赤塚氏と相撲を取って食後の運動。よこた氏強い!ニンジンを食べないから馬力が出ないんだという よこた氏 にトクちゃん、頭は弱いけど相撲は強いんだね、と赤塚氏に皮肉を言われて本気で投げ飛ばしている よこた氏 。赤塚氏の顔は笑ってます。(なごみ~)
そろそろTVで相撲が始まる頃と、石森氏の部屋へTVを見せに貰いに行く。当時大きなTVは石森氏の部屋にしかなかったのです。
栃の海 そこだっがんばれ~
うるさくて仕事にならない石森氏、やっと相撲が終わったと思ったらナイターを見始める よこた氏。
長島がんばれっ ホームラン頼むぞ TVがワーワー
もうしらないっと野球が終わるまでひと寝入りする石森氏だったが よこた氏に起こされる。野球が終わったかと思いきや、
いま 一番いいとこなんだけど、ひとりで見るのもったいないから一緒に見て欲しいの
石森氏 めいわくだなぁ
ほら、長島ホームラン打ったよ、みてみて
寂しがりやさん ?
そこに渡りに舟とタバコを買いに行こうと赤塚氏が登場。ちょっと待ったと よこた氏
タバコを買うなんてばかばかしいよ、そのお金でパチンコやれば・・・。
ご想像の通り、最初からタバコ屋で買ったほうが安く付きました。はあ~
相撲も野球もパチンコも終わったし、つまんねぇと寝っころがる よこた氏。(遊び人ですねー) 将棋がマダだったと赤塚氏を誘って始めるが、
トクちゃんは負けるとしつこいから花を持たせてやろう
と途中から逃げられる。花フダにも、仕事があると逃げられ、しょうがない、オレも仕事するかと部屋へ帰るが、紙も無い、鉛筆もない、ペンも無いという有様。何度も赤塚氏に借りに行って呆れられる。
はちまき締めてがんばるぞ~と思ったけど、眠くてだめだと大いびき。そして、続きが見たい人は始めに戻る、となり、
同じような生活が三年余りつづいたってわけなの
と終わっています。仕事するより遊びが命だったのね。でも、一時期この人のマンガよく見ましたよ。りぼんコミックやマーガレット等の少女誌でも連載していたし。
大作家ではなかったかもですが、ほのぼのして、見ていてゆったりした気分になる楽しい作品ばかりでした。
本名は横田徳男。1957年から1960年までトキワ荘の住人だった。
『日本史できごと365日事典』『世界の偉人まんが伝記事典』『クイズきまりことば』『まんが方言なんでも事典』『はじめはじめのそのはじめ』『おもしろトイレ物語』など、多くの学習漫画を手がける。
少女漫画家として『マーガレットちゃん』という作品を週刊マーガレットに掲載していたこともある。
『マーガレットちゃん』私覚えてます。絵柄もストーリーもほのぼのタッチでした。
週刊マーガレット・少女フレンドは毎週のように読んでました。なんたって3姉妹いれば買ってくれますよね。おまけに弟二人も読んでいた。当時の少女まんがを覚えているんじゃ無いでしょうか。少年まんが雑誌も時々買ってもらっていたので、「少年」 「少年画報」 「少年キング」 「少年サンデー」 「マガジン」 と、いろいろ読んでいた記憶が・・・。それはさて置き。
「トキワ荘物語」 ⑦ よこた とくお
例によって、黒字は作品中のセリフ及び文章の引用となっています。
表紙は作者自画像 (もちろんまんが) 横広、目が^^の線、団子鼻の特徴あるお顔が全面に。なぜか枠や題字の字体はボロボロです。古いという事をあらわしているのか。
原稿が散らかっている中でイビキを掻きながら寝ているよこた氏。赤塚氏がごはんだよ と起こしに来るとガバッと はいよ 赤塚氏の母上が石森さんも呼びなさいというと、赤塚氏、おもむろに壁をたたいて隣の石森氏を呼びます。みんなでいただきます !!
とき=昭和31年 ところ=トキワ荘 当時ぼくと石森氏は赤塚氏のおかあさんに食事やせんたくの面倒をみてもらっていた。
ニンジン嫌いな赤塚氏のおかずを 「赤塚氏は好き嫌いが多すぎるよ、ねえ」 と他のおかずまでいっしょにガパッと食べてやる。
トクちゃんは仕事は遅いけど食べるのは早いね と石森氏
なにしろ 口が大きいもんな と赤塚氏、悔しそう。
ガハハハ くちだけじゃなくてハナのあなも大きいよん 指をハナのあなにスポッと入れてみせるよこた氏
わ、きたない 石森氏
食後は赤塚氏と相撲を取って食後の運動。よこた氏強い!ニンジンを食べないから馬力が出ないんだという よこた氏 にトクちゃん、頭は弱いけど相撲は強いんだね、と赤塚氏に皮肉を言われて本気で投げ飛ばしている よこた氏 。赤塚氏の顔は笑ってます。(なごみ~)
そろそろTVで相撲が始まる頃と、石森氏の部屋へTVを見せに貰いに行く。当時大きなTVは石森氏の部屋にしかなかったのです。
栃の海 そこだっがんばれ~
うるさくて仕事にならない石森氏、やっと相撲が終わったと思ったらナイターを見始める よこた氏。
長島がんばれっ ホームラン頼むぞ TVがワーワー
もうしらないっと野球が終わるまでひと寝入りする石森氏だったが よこた氏に起こされる。野球が終わったかと思いきや、
いま 一番いいとこなんだけど、ひとりで見るのもったいないから一緒に見て欲しいの
石森氏 めいわくだなぁ
ほら、長島ホームラン打ったよ、みてみて
寂しがりやさん ?
そこに渡りに舟とタバコを買いに行こうと赤塚氏が登場。ちょっと待ったと よこた氏
タバコを買うなんてばかばかしいよ、そのお金でパチンコやれば・・・。
ご想像の通り、最初からタバコ屋で買ったほうが安く付きました。はあ~
相撲も野球もパチンコも終わったし、つまんねぇと寝っころがる よこた氏。(遊び人ですねー) 将棋がマダだったと赤塚氏を誘って始めるが、
トクちゃんは負けるとしつこいから花を持たせてやろう
と途中から逃げられる。花フダにも、仕事があると逃げられ、しょうがない、オレも仕事するかと部屋へ帰るが、紙も無い、鉛筆もない、ペンも無いという有様。何度も赤塚氏に借りに行って呆れられる。
はちまき締めてがんばるぞ~と思ったけど、眠くてだめだと大いびき。そして、続きが見たい人は始めに戻る、となり、
同じような生活が三年余りつづいたってわけなの
と終わっています。仕事するより遊びが命だったのね。でも、一時期この人のマンガよく見ましたよ。りぼんコミックやマーガレット等の少女誌でも連載していたし。
大作家ではなかったかもですが、ほのぼのして、見ていてゆったりした気分になる楽しい作品ばかりでした。
「マーガレットちゃん」には記憶がピンっと
来ましたが…学習用マンガも記憶にあるので
絶対に見ている人なんでしょうね(笑)
ところで、トミーさん。
3姉妹ってのは知っていましたが
その後、5人兄弟って知って「え~っ!」っと
思い、今回3姉妹+2弟って知りました。
ってことはトミーさんは上から3番目?
あの、よく世間で言われる「次は男の子!」っと
目指し「な~んだ」っと言われたポジションですか?
子供の頃は兄弟多いと大変だけど
今はイイですね~ウチ二人なんで…
羨ましいです
ま・まさにそれ状態の生まれの子ですわ。親は私が生まれる時、男の子の名前しか考えておらず (当時は生まれるまで男女が分からなかったのよね) 女が生まれてしまったので、急遽その季節にちなんで名前をつけたという、安易な名づけ方でして・・・。
まー、別に兄弟そろって仲良く育ったし、親やお祖母ちゃんにも可愛がられたからいいんですけど。
私の子供の頃から、友達より兄弟多いほうでしたけど、兄弟多いのは良いことだと今は凄く思います。
スターぞろいのトキワ荘の中では地味目の方ではありましたが、昭和30年代にはそれなりに活躍してらっしゃった方だとは記憶しています。
石森章太郎氏が主宰する「東日本漫画研究会」の「墨汁一滴」にも参加していたと思いますよ。
ウィキを見たら、後に学習漫画界の第一人者となったと有りました。