↑ この記事の載っている COM表紙
初めて「COM」 の記事の中から紹介してみようかなと思います。前から「COM」 のマンガだけでなく記事の方も紹介したいとは思っていたのですが、良いものが膨大にあって、なにから書いていいやらと思っていたのです。
このブログには少女マンガ好きな方が多くいらっしゃるので、最初はこんなものが良いかなと。
新鋭少女まんが家が語る、現在の状況と抱負 ! とサブタイトルの付けられた座談会です。
メンバーが凄いですよ。司会は 上田 としこ先生。 出席者はもりたじゅん、一条ゆかり、竹宮恵子(現在は惠子)、萩尾望都、まき・のむら (のちにレディスコミック等で活躍 管理人注) (以上敬称略)の各氏。1971年10月号の掲載ですから、出席者の面々はデビュー直後もしくは新人の域を出ない頃。皆さん初々しく話してらっしゃいます。又お話以上に初々しい顔写真も載っています。(微笑)
・・・・以下青文字は原文引用・・・・
全体を5つにわけ、小題は
① デビューとその動機
② プロとしての抱負を・・・
③ 少女まんがにおける性
④ 専属契約制については ?
⑤ 原作まんがの良否
になっています。① デビューとその動機 では、もりた氏が
始めから好きだったということです。大学のとき、半年くらいはまじめに通っていたんですけど、おもしろくなくて、まんがを読んでいて、これなら描けるんじゃないかなんて思って描き始めたんです。ほんとうに軽い動機でしたね。一番初めに「りぼん」に乗せてもらったんです。
一条氏は
私も、もりたさんとデビューが一緒だったんです。「りぼん新人賞」 を募集してて、一緒に賞をとったんです。そのときからの知り合いなんです。
私がまんが好きだったのはやっぱり絵が好きだったから。小さいときから絵を描くのが好きでね。小学校のとき、将来何になるって調べがあって、みんなは看護婦さんとかパイロットになるって書いてるのに一人だけまんか家になるなんて書いて変なこと考えてるって笑われたりして。
(あっら~私と同じだわ。でもその先は大違い 管理人注)
中学の頃からイラストレーターになりたいなんて思ってて、高校の頃、商業学校だったからまわりが就職ってうるさくて、自分一人くらい自分でなんとかならないかなあなんて考えてたんです。
その頃、単行本ちょっとやってつまんなくてやめて、それから「りぼん」に応募したんです。で、入選してデビューしたのが(昭和)43年の3月です。
- 略 -
竹宮氏
私は根が寂しがりやなものでとにかくよろこんでいて何か興奮している状態が好きで、いろいろ興味持つんですけど、結局とことん興味をもてるのがまんが以外になかったと言うわけです。どんどん踏み込んでいって、ただ自分をよろこばしてくれるから描いていました。中学の時に突然興味を持って毎日描いていたんです。
内容にしてもこれが描きたいんだ、というものはなかったみたいです。
- 略 -
最初に出たのは私も十万円をねらって(笑)「マーガレット」の方へ応募して、だめだったんですけど佳作に選ばせて載せてもらったんです。それと同じ頃に「COM」に応募して、最初は佳作で載せてもらえなかったんですけどね、
管理人注 以前の記事参照 → 竹宮恵子氏のデビュー前作品 「弟」
それから何度か出したりしてて、描き出したんです。
萩尾氏
とにかく幼稚園に入る前から絵が好きで、ずーっと学校にいるときは夢中で、高校の二年の時、石森先生の「マンガ家入門」を読んだわけです。三畳の部屋で頑張った、なんて書いてるんです。
私は頑張る気はないからやめた、なんて思ってたらすぐ後で、手塚先生の「新撰組」を読んでショックを受けて描いて行こうと思ったんです。
で、デビューしたのが二十歳のときに「なかよし」でです。編集の人に紹介されて、作品を送ったり返されたりしているうちに載せてもらいました。
まき氏
描きはじめたのは中学二年の時で友達が描いているのを見て、これなら私も描けるんじゃないかな、なんておもってその頃 ちばてつやさん が「紫電改のタカ」 (懐かしい~) を描いていたんですね。それが大好きで、戦争ものばかり描いてたんです。
最初に作品をまとめたのが高校2年の時で、それを「COM」に出したんです。それが佳作の次の準佳作で、それから何度か出してやっと去年(1970年)佳作の一席に入ったんです。
デビュー作に当たるのは今年の5/6月号合併号の「ベストコミック」に発表した作品で、まだ新人のほやほやです。
司会の上田氏は、現状がものたりないから自分で描いて行こうという抱負を持って描き出すより、まず絵から入ってきているようですね。なんて言ってる。自分の事を考えても、絵が好きだからチラシの裏に描き出してっていう人が多いと思うけれど、なんか文学論みたいなことから聞いていて、特に COM はマンガに対して文学を語るようなそんな空気が在ったのかもと思う。表現の場をマンガに求めて…とか ? 今の方がよっぽどエンターテイメントに徹した作品が多いかも。
なるべく出席者の発言をそのまま載せようと思うと引用が長くなってしまって、小題1つ分で文章も長くなりました。続く・・・。
マンガ雑誌 「COM」 で検索して来られた方、ありがとうございます。左側にある カテゴリー欄 の一番下にある まんがエリートのための雑誌 COM を押していただくとCOMの過去記事が全部出てきますので、参考になさってください。m(_ _)m
初めて「COM」 の記事の中から紹介してみようかなと思います。前から「COM」 のマンガだけでなく記事の方も紹介したいとは思っていたのですが、良いものが膨大にあって、なにから書いていいやらと思っていたのです。
このブログには少女マンガ好きな方が多くいらっしゃるので、最初はこんなものが良いかなと。
新鋭少女まんが家が語る、現在の状況と抱負 ! とサブタイトルの付けられた座談会です。
メンバーが凄いですよ。司会は 上田 としこ先生。 出席者はもりたじゅん、一条ゆかり、竹宮恵子(現在は惠子)、萩尾望都、まき・のむら (のちにレディスコミック等で活躍 管理人注) (以上敬称略)の各氏。1971年10月号の掲載ですから、出席者の面々はデビュー直後もしくは新人の域を出ない頃。皆さん初々しく話してらっしゃいます。又お話以上に初々しい顔写真も載っています。(微笑)
・・・・以下青文字は原文引用・・・・
全体を5つにわけ、小題は
① デビューとその動機
② プロとしての抱負を・・・
③ 少女まんがにおける性
④ 専属契約制については ?
⑤ 原作まんがの良否
になっています。① デビューとその動機 では、もりた氏が
始めから好きだったということです。大学のとき、半年くらいはまじめに通っていたんですけど、おもしろくなくて、まんがを読んでいて、これなら描けるんじゃないかなんて思って描き始めたんです。ほんとうに軽い動機でしたね。一番初めに「りぼん」に乗せてもらったんです。
一条氏は
私も、もりたさんとデビューが一緒だったんです。「りぼん新人賞」 を募集してて、一緒に賞をとったんです。そのときからの知り合いなんです。
私がまんが好きだったのはやっぱり絵が好きだったから。小さいときから絵を描くのが好きでね。小学校のとき、将来何になるって調べがあって、みんなは看護婦さんとかパイロットになるって書いてるのに一人だけまんか家になるなんて書いて変なこと考えてるって笑われたりして。
(あっら~私と同じだわ。でもその先は大違い 管理人注)
中学の頃からイラストレーターになりたいなんて思ってて、高校の頃、商業学校だったからまわりが就職ってうるさくて、自分一人くらい自分でなんとかならないかなあなんて考えてたんです。
その頃、単行本ちょっとやってつまんなくてやめて、それから「りぼん」に応募したんです。で、入選してデビューしたのが(昭和)43年の3月です。
- 略 -
竹宮氏
私は根が寂しがりやなものでとにかくよろこんでいて何か興奮している状態が好きで、いろいろ興味持つんですけど、結局とことん興味をもてるのがまんが以外になかったと言うわけです。どんどん踏み込んでいって、ただ自分をよろこばしてくれるから描いていました。中学の時に突然興味を持って毎日描いていたんです。
内容にしてもこれが描きたいんだ、というものはなかったみたいです。
- 略 -
最初に出たのは私も十万円をねらって(笑)「マーガレット」の方へ応募して、だめだったんですけど佳作に選ばせて載せてもらったんです。それと同じ頃に「COM」に応募して、最初は佳作で載せてもらえなかったんですけどね、
管理人注 以前の記事参照 → 竹宮恵子氏のデビュー前作品 「弟」
それから何度か出したりしてて、描き出したんです。
萩尾氏
とにかく幼稚園に入る前から絵が好きで、ずーっと学校にいるときは夢中で、高校の二年の時、石森先生の「マンガ家入門」を読んだわけです。三畳の部屋で頑張った、なんて書いてるんです。
私は頑張る気はないからやめた、なんて思ってたらすぐ後で、手塚先生の「新撰組」を読んでショックを受けて描いて行こうと思ったんです。
で、デビューしたのが二十歳のときに「なかよし」でです。編集の人に紹介されて、作品を送ったり返されたりしているうちに載せてもらいました。
まき氏
描きはじめたのは中学二年の時で友達が描いているのを見て、これなら私も描けるんじゃないかな、なんておもってその頃 ちばてつやさん が「紫電改のタカ」 (懐かしい~) を描いていたんですね。それが大好きで、戦争ものばかり描いてたんです。
最初に作品をまとめたのが高校2年の時で、それを「COM」に出したんです。それが佳作の次の準佳作で、それから何度か出してやっと去年(1970年)佳作の一席に入ったんです。
デビュー作に当たるのは今年の5/6月号合併号の「ベストコミック」に発表した作品で、まだ新人のほやほやです。
司会の上田氏は、現状がものたりないから自分で描いて行こうという抱負を持って描き出すより、まず絵から入ってきているようですね。なんて言ってる。自分の事を考えても、絵が好きだからチラシの裏に描き出してっていう人が多いと思うけれど、なんか文学論みたいなことから聞いていて、特に COM はマンガに対して文学を語るようなそんな空気が在ったのかもと思う。表現の場をマンガに求めて…とか ? 今の方がよっぽどエンターテイメントに徹した作品が多いかも。
なるべく出席者の発言をそのまま載せようと思うと引用が長くなってしまって、小題1つ分で文章も長くなりました。続く・・・。
マンガ雑誌 「COM」 で検索して来られた方、ありがとうございます。左側にある カテゴリー欄 の一番下にある まんがエリートのための雑誌 COM を押していただくとCOMの過去記事が全部出てきますので、参考になさってください。m(_ _)m
大変な作業ですが、「ちりもつもれば・・」でガンバ♪(^o^)。
出来るだけ応援コメします。
竹宮さんはデビュー前、近くにマンガを描く友人が居なくて、
同人誌で描いてた経験のある石森章太郎さんへ直接手紙を出して、
同人誌や「COM」で募集してる事を教わっています。
そして手塚先生から『少女コミック』の名編集者・山本順也氏に知られ
山本氏は竹宮惠子さんの居る徳島まで赴き「新しい事を始めたい」と説得。
竹宮惠子さんは徳島大学中退、上京を決心し、1970年5月に上京。
(大学在学中に、小学館『週刊少女コミック』に連載開始してます)
半年後「大泉サロン」に(^o^)。
「求めよ さらば与えられん」てとこですね♪。
石森章太郎氏も面倒見の良い先生です(^o^)。
一条ゆかりさんと同期「りぼん新人賞」に弓月光さんがいます(^o^)。
ちばてつやさんの「紫電改のタカ」大好きで読んでましたねー。
>ついに「COM」1冊づつの紹介と云う難物モノ
とりかかってません~。(泣)
たまたまこの号は2冊持っていて、それというのも末期なのでなかなか出なくて、あっ、あったと思って買ったら同じものだったという しろもの で。
1冊は惜しげなく広げて参考にできるかと思って見ていたら、この記事があってこれは皆さん興味あるかと思いまして。
でも見てくださる方がいると思うと頑張りがいもありますね。とりあえずこの記事を完成させなければと思うも、今会社の年賀状書きに四苦八苦してまして、おまけに だんなの手術後遺症 (プチ肺炎とか尿路結石とか) も出てきて忙しくしていますので、今しばらくお待ちくださいませ。m(_ _)m