陽が暮れるはじめると、林立する巨大なヤシの木から「ジゼン、ジゼンゼン」と聞こえるような蝉の大合唱がとどろく。
それは日本の蝉より低音かつ、扇風機の強風に耳を近づけたような迫力で、昼と夜の空気がバサバサたたいて入れ替えられる。
夕空のピンクが少しずつ褪せていき、20分くらいかけて紺色になると、彼らのうたはあっさりと止む。
すると今度は、周りの田んぼから可憐な虫の音が水蒸気みたいに上がってきて、電球がポツンポツン灯るだけの闇を、碧くしんしん包み込む。
田んぼに面した二階のオープンテラス・レストランからは、時々カチャカチャとお皿やナイフの音が聞こえてくる。
ここは、バリ島の海辺から車で40分ほど走ったところにある、田んぼと山に囲まれたウブドという町。
わたしが最初に来たのは14年前で、その後何度か訪れ、最後は10年前だった。
変わっていたのは、中心部にスターバックスやコンビニ、キレイなブテックやお土産屋さんが立ち並び、地元の人の市場が新築されていたこと。
大きなホテルも増え、かつて見かけなかった中国のグループ旅行者も、たくさんいる。
ただ、でこぼこで、時々ウソのように1メートル下の暗がりに向けぽっかり穴の空いていたりする歩道は、当時のままなのがふしぎだった。
旅人が多くなり、彼らを相手に外国人オーナーのホテルやお店が次々と開店し、急速な発展にバリの風土そのものは驚いているように見える。
思春期の子供みたいに。
今まで使っていない携帯を借してくれていた友人が、仕事で別の島に渡ることになったので、代わりにこちらの一番シンプルな携帯を買った。
それでもラジオやトーチライト、使わないけどゲーム機能などついて2,500円ほど。
しかも通話料金は、日本へ1分8円。
今持っているドコモの携帯が、日本へかけると1分380円だから、こちらの通信事情はすばらしい。
かつてひっそりとしていた、田んぼを見渡すカフェに入った。
今日は、オーストラリアと中国の人でにぎわっている。
カレーとケーキを頼むと、味はバリ独特で、外国人向けのアレンジはされていないようだった
田んぼのあぜ道を、頭にかごを載せた女性がゆっくり農作業に向かい、犬たちがのびのび遊んでいる姿はそのままで、少しほっとする。
海に近いレストラン街にいる犬たちは、アスファルトの道端で頭をもたげ、どこか憂いを帯びて見えたけど、この田んぼの隅っこにいた白黒の、ホテルに面した草地で転げ回っていた白黒茶色の犬たちは、緑の中で仲間と犬生を謳歌してるようで、思わず見惚れてしまった
田んぼカフェを出てほんの少し歩くと、坂道の頂上で雨が降りだした。
大木の、2メートルくらいある葉っぱの下に立ち止まって様子を見ていたら、道の向かいの商店街で絵を売っている男の子が「おいでおいで」してくれたので、色とりどりのカッパをまとって走り抜けるバイクの隙をつかんで、軒下にかけ込ませてもらった。
それから間もなく、坂道は川になり、さっき雨宿りしていた葉っぱは重たそうにしなだれて、蝉が、今やすべての音をかき消してしまった雨に負けじと鳴きだした。
目の前を、田んぼカフェにいたオーストラリア人カップルが、ふたり並んで胸を張り、全身に雨を受けながら、両手をこぶしにして歩いて行く。
近くに宿があるんだろう。
ふたりでいると、勇敢になれるんだ。
しばらくすると、今度は彼らの歩いて行った方から、またオーストラリア人らしき別のカップルが、一本の傘の下ピッタリ寄り添い、歩いてきた。
男性が傘を差し、雨から守るように彼女の腰に手を回している。
彼女はサンダルを脱ぎ捨てたのか、背中の空いたベージュのワンピースに裸足で水を切っていく。
ふたりとも、しっかと前を見据えて。
一緒だと、大胆になれるんだ。
辺りが暗くなってきたので、隣で大雨を見ていた男の子がお店に電気をつけた。
そこには、彼の描いた鮮やかな色彩の絵が、奥までぎっしり飾ってあった。
「これはどのくらい売れるの?」
と聞いてみたけど、英語をほとんど話さなかった彼は、タバコをくわえたままニコニコしていた。
一番手前にかかっている絵の中で、ヘッドホンに片手を当てたごきげんそうなおサルも、にんまり横顔で笑っていた。
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