むすんで ひらいて

すべてが帰着するのは、ホッとするところ
ありのままを見て、気分よくいるために

信じて みようね。

2011年11月27日 | こころ
見えないものを信じるには、時間と、意思のちからと、感動がいるな。と思う。

先日の授業後、相談にきた女の子の話をきいていると、何年も前に人から言われたことが、今も気になり困ってるというの。

きっとみんな、どのくらい意識してるかの差はあっても、過去の傷やコンプレックスを持っているもの。
無意識に押しやって必要以上にそれを恐れたり、人のことばに地雷を踏まれてカッとなるくらいなら、今そういう傷みを抱えてる自分を、こみこみで受け入れてしまったほうが心は安らかよね。

とはいっても、かんたんに思い込みは捨てられない。それがつらい経験であればあるほど、「だいじょうぶよ~、そんなことないから~、気にしない気にしな~い」と言われたところで、響いてこないわ。

わたしたちは、安心させようといきおい、前向きな言葉をかけがちだけど、本人にとっての「気になる」という事実も、今の「気にするようなことじゃないよ。だいじょうぶ」という事実も。両方に寄り添ってほしいところよね。

ぎゅっとなった脳に抵抗し、何かに依存して紛らわすんじゃなく、温かい環境で、存在を認めてもらえる感動を注いでいく そんな毎日のリハビリで、ちくちく痛いこころの魚の目がはがれていくといいなぁ。

わたしは、教室で彼女にかけることばが尽きたので、そういう環境が周りに整うよう、帰って祈ることにしました。





かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/








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