むすんで ひらいて

YouTubeの童話朗読と、旅。悲しみの養生。
ひっそり..はかなく..無意識に..あるものを掬っていたい。

再び詣で (つづき)

2012年01月20日 | 日記
「一皿もらえますか。すみません。」
カウンター越しに、ひとつ頭を下げ、おばあちゃんは、わたしの斜め後ろの席に、まあるいからだを休めました。

楚々として、一本の木が、ひっそりと生命力を湛えたようなたくましさ。彼女に薫る、そんな、ことばにならない佇まいが、向き合って五平餅をほおばる祖母のおもかげで、お店をいっぱいにしました。

帰り際に、
「(セルフサービスのおでん)一串と一皿ね。」
と、お財布を開きながら立つ戸口の小さな背に、思わず、その荷物を手伝ってわたしも立ち上がりたくなりましたが、かわりに「きをつけて」と祈り、後ろ姿を見送りました。



環境が人を創るなら、今もこうして、祖母と母を育てた山あいの風土を訪れることができ、同じものを受けて生きるまた別のいのちに出会えることは、どこかつながりを感じ、安心させてくれます。

これまでわたしは、南の海に住む陽気な人々に惹かれて旅をし、今も時々、窓にのぞく白銀の海面を眺めて、胸の広がっていく清清しさを感じています。と思えば、自分は暮らしたことのない山里にこみ上げる、どうしようもない懐かしさに、体中ひたひたと満たされていきます。

何を好きか。それはきっと、はっきりした理由があるわけでもなく、自分を補うものに惹かれたり、内にある遠いキオクのようなものに深い思慕を感じたりする、こころの揺れかもしれないな。と、思います。



たまたまその日は、駅のそばにあるという神社でお祭りが催されていて、駅前大通りには、屋台がずっとずっと並んでいました。その中を10分ほど歩いたら、のぼりのはためく境内に辿りつき、思いがけない「再び詣で」もかなえられました

お土産の五平餅の包みをいつかのように抱え、賑わいを後に、中央道へ。西日に白く輝く峰々と、うっすら明るい月。山村のまばらな家の、煙突から上る白い煙。山が道に迫り、さらに深くなってきて、脇に積み上げられた残り雪が、オレンジ色の街灯にぼんやり照らされる頃、長野県の標識が現れました。

やがて、すっかり高くなった月を見上げ、
「どこに行くかより、そこに誰がいて、何があるか。だなぁ。」
と、すこし立ち止まって思いながら、門をくぐりました。





かうんせりんぐ かふぇ さやん     http://さやん.com/




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