比企の丘

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越辺川の冠水橋・・・赤尾落合橋と長楽落合橋の今

2015-07-08 | 冠水橋・潜り橋・渡し場
7月5日、越辺川に架かる島田橋の復旧の様子を見に行きました。そしてその下流にある赤尾落合橋長楽(ながらく)落合橋を探索。
赤尾落合橋は坂戸市赤尾と東松山市正代(越辺川と都幾川の合流点)をつなぐ木造冠水橋。長楽落合橋は東松山市正代と川島町長楽をつなぐ木造冠水橋。
落合とは川と川の合流点、川俣とか出合とかいろいろな地名があるようです。

坂戸市赤尾集落の堤防の上から赤尾落合橋を見ています。
上流の島田冠水橋は復旧しましたが、ここは廃橋になったようです。

もとは生活道路(市道?)でしたが、いまはクローズに。
(撮影日は2015年7月5日)

2014年6月撮影の赤尾落合橋です。


2009年10月16日の赤尾落合橋。         2009年10月16日の長楽落合橋

冠水橋・・・埼玉県の荒川水系のみでいう土木用語らしい。河川の低水域を河川敷内で跨ぐ橋。最近は四国四万十川流域に架かる橋がその土地で沈下橋と呼ばれ観光として目玉になっているため普通名詞として定着化しつつあるようですが、地域により潜水橋、沈下橋、潜り橋などと呼ばれていました。統一した呼称は無かったようです。
越辺川の冠水橋・・・最近は島田橋、赤尾落合橋、八幡橋だけになっていましたが、いまは島田橋、八幡橋のみに。越辺川にコンクリート橋が架橋されるようになったのは最近50年間のこと。1960年代は冠水橋は珍しいものではありませんでした。
車社会になり大型トラックによる流通が主流になり一般家庭の移動手段も車中心になり、無用の長物のようになりましたが、橋は人と物の流れを作る道の一部、飛び石橋、丸木橋、流れ板橋、船橋、渡し船、冠水橋と歴史が流れています。遺しておきたい歴史的土木建築遺産です。
赤尾という地名・・・赤羽とか赤坂とか関東ローム土の色による地名もありますが鉄分を含んだ赤い土からの地名由来もあります。この集落には金山彦神社があります。縁起書はないようですが金工集団の神様のようです。川を渡った東松山市正代(しょうだい)にはむかし小代(しょうだい)鋳物師集団がいたそうです。川島町大字長楽に金山という小字があったそうですがいまでは地図から消えています。





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