比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

2017年北海道の春・・・北海道の開拓を物語る・・・サッポロビール博物館

2017-08-25 | 道を行く 北海道
2017年、春の北海道の旅・・・帯広、釧路、根室、花咲、ノサップ、ウトロ・・・網走・・・旭川、美瑛、旭岳、そして札幌。
札幌・・・サツ・ポロ・ぺツ・・・乾いた、大きな、川・・・豊平川を中心とする水の少ない大きな沖積平野を指していったのでしょうか。
いつの間にかぺツが消えてサッポロに。札幌は表音文字。

・・・彩風人の写真帳・・・

さてサッポロビール博物館・・・にやって来ました。
札幌市東区北7条東9丁目・・・札幌駅から2㎞、歩いても、バスでも、タクシーでも。

ビール樽に書かれた文字組み合わせクイズ?・・・答えは最終段に。


明治の香り・・・北海道開拓使館・サッポロビール博物館・・・煉瓦造りの歴史的建造物。
1890年(明治23年)・・・札幌製糖が工場として建築。
1903年札幌麦酒が買い取って製麦工場に・・・以後1965年まで稼働。1967年開拓使麦酒記念館、1987年サッポロビール博物館に。


麦汁煮沸釜(1925年製)。



復刻札幌製麦酒、プレミアムビール。
ちなみにのマークは北極星(ポラリス)を表しているのだそうだ。
※撮影日は2017年4月6日 Canon PowerShot G7X。

サッポロビール博物館・・・明治維新の翌年の明治2年(1969年)日本政府は北海道札幌に開拓使を開設します。省と同格の中央官庁です。1876年開拓使長官であった黒田清隆の主導のもとで現在の「サッポロファクトリー」(商業施設)の地に「官営開拓使麦酒醸造所」を設立、1886年大倉商会に払下げ、1887年渋沢栄一が中心となって株式会社組織の「札幌麦酒会社」が発足。ここ「サッポロビール博物館」の煉瓦造り建造物は「札幌製糖」が1890年建造したもので1903年札幌麦酒」が買い取って製麦工場に。「札幌麦酒」は合併、併合、分割を経て現在の「サッポロビール」に。精麦工場は1965年まで稼働。1966年「開拓使麦酒記念館」・「サッポロビール園」に。1987年[サッポロビール博物館]に。
北海道の開拓を物語る歴史的建造物です。麦の生産、ビートの生産、農業政策に関連した麦酒・製糖事業など産業育成を模索した時代の遺産です。文化庁から重要文化財の指定を受けましたがリニューアルに制限を受けることから辞退して会社が維持管理に。2004年、2016年リニューアル。
黒田清隆(1840~1900年)・・・旧薩摩藩士、北海道開拓次官、のちに長官、ホーレス・ケプロンら外国人のお雇い学者、技師を招きその献策、助言を基に北海道の開拓にあたった。北海道開拓の礎を築いた有能な官吏、第2代内閣総理大臣をつとめた政治家、旧德川幕臣の榎本武揚を助命して重用した。明治期の政治家として記憶される人であったが開拓使の廃止直前に開拓使官有物払下げ事件を起こして指弾され名声は一挙に落ち、汚職と醜聞のみ記憶された。


※「麦とホップを製すればビールとゆう酒になる


最新の画像もっと見る

コメントを投稿