今日は何の日。6月23日。
太平洋戦争で唯一住民をも巻き込んだ日本地上最大の戦闘が終結した日です。
今から62年前このあたり一草一木もありませんでした。銃弾750万発、機関銃弾3000万発、砲弾6万発、ロケット弾2万発、手榴弾40万発、「鉄の雨」が降ったのです。地形が変わり地下の水脈まで変わったといわれます(かつて豊かに湧いていたといわれる首里城の泉は今は見る影もありません)。
1945年3月26日沖縄慶良間諸島に米軍上陸。
4月1日沖縄中部に米軍上陸、南進開始。
5月31日米軍が首里をほぼ制圧。日本軍の沖縄守備軍総司令部は南部に移動。
6月13日海軍部隊司令官大田実少将が豊見城の壕内で自決。
6月22日沖縄軍守備軍総司令官手島満中将が摩文仁司令部で自決。
ここで指揮系統は終結とされますが、その前から明確な指揮系統の存在は疑問?。
6月25日大本営が沖縄戦の終了を発表。8月15日敗戦発表。
8月29日最後の投降兵が出て事実上終局。
1965年4月9日沖縄立法院にて6月23日を「慰霊の日」と定める。
6月22日「慰霊の日」の前日、沖縄県議会は高校生の教科書の検定で「沖縄戦の際に日本軍が住民に集団自決を強制したと取れる記述を削除した問題でその撤回を求める意見書の提案を全会一致で可決しました。

沖縄戦の際の集団自決については肯定、否定の諸説あります。命令を下したとされる方の関係者にとって耐えられない屈辱でしょう。そして生き残った方の証言があります。この方たちの証言は亡くなった方たちの代弁です。
真実を捻じ曲げては死者を冒涜します。
片手がもがれ泣き喚きながら日本刀を振り回す将校、赤ん坊を銃剣で突き殺す兵士、住民を壕から追い出し(投降を促し)自決する兵士。
阿鼻叫喚はそこにいたものにしか語れません。
太平洋戦争で唯一住民をも巻き込んだ日本地上最大の戦闘が終結した日です。
今の首里城のあたりです。静かです。緑も豊かです。


今から62年前このあたり一草一木もありませんでした。銃弾750万発、機関銃弾3000万発、砲弾6万発、ロケット弾2万発、手榴弾40万発、「鉄の雨」が降ったのです。地形が変わり地下の水脈まで変わったといわれます(かつて豊かに湧いていたといわれる首里城の泉は今は見る影もありません)。
1945年3月26日沖縄慶良間諸島に米軍上陸。
4月1日沖縄中部に米軍上陸、南進開始。
5月31日米軍が首里をほぼ制圧。日本軍の沖縄守備軍総司令部は南部に移動。
6月13日海軍部隊司令官大田実少将が豊見城の壕内で自決。
6月22日沖縄軍守備軍総司令官手島満中将が摩文仁司令部で自決。
ここで指揮系統は終結とされますが、その前から明確な指揮系統の存在は疑問?。
6月25日大本営が沖縄戦の終了を発表。8月15日敗戦発表。
8月29日最後の投降兵が出て事実上終局。
1965年4月9日沖縄立法院にて6月23日を「慰霊の日」と定める。
沖縄平和祈念公園 「平和の礎」(へいわのいしじ)


6月22日「慰霊の日」の前日、沖縄県議会は高校生の教科書の検定で「沖縄戦の際に日本軍が住民に集団自決を強制したと取れる記述を削除した問題でその撤回を求める意見書の提案を全会一致で可決しました。


沖縄戦の際の集団自決については肯定、否定の諸説あります。命令を下したとされる方の関係者にとって耐えられない屈辱でしょう。そして生き残った方の証言があります。この方たちの証言は亡くなった方たちの代弁です。
真実を捻じ曲げては死者を冒涜します。
片手がもがれ泣き喚きながら日本刀を振り回す将校、赤ん坊を銃剣で突き殺す兵士、住民を壕から追い出し(投降を促し)自決する兵士。
阿鼻叫喚はそこにいたものにしか語れません。
戦跡国定公園 「摩文仁の丘」 遥かに 南太平洋が…静かな海です


歴史教育…真実を後世に伝えなくってはと感じています。
過去のことは私共には、どうすることもできませんが
二度と過ちを犯さない為の努力は出来ると思います。
子ども達にありのままを伝えてほしいと願う次第です。
それからいつもヒキノさんのスケッチの画を二人で
楽しみに拝見しています。
素晴しい画を有り難うございます。
(へな爺)
沖縄で父や母が目の前で自決していった人がいるのですから、そういう人はやりきれないでしょうね。
子供たちに語り継げるものは教科書しか残らないのですからどうなるのでしょう。「一億玉砕」「鬼畜米英」。教育はどうにでもなります。中韓の「反日思想」も教育です。
那覇空港からまずは首里城。すっかり観光地。城門では一枚いくらで琉球着物を着た女性が立っておりました。少し興ざめ。
次にリゾートお宿に移動しようと移動。途中、広大な嘉手納基地横をひた走る。車中にも響く戦闘機の爆音。会話が途切れがち。基地横のアイスクリーム屋でアイス。ボリュームは本土(米国!)なみ。そういえば、街道の雰囲気も米国です。違うのは左側通行だけか。でも復帰前は右側だったんだよな...と思いながらお宿に。お宿でも将校さんとおぼしき外国の方々が。米軍駐留先で一番人気は沖縄だとか。
万座毛ではご老人がお声かけてきた。会話の中で昔のお話を控えめに話された。景色とともにそれが一番の記憶。
なにか不思議なものを感じた日本国沖縄リゾート?
サイパングアムはたぶんリゾート気分にはなれないだろうな。ホノルルも同じく。
すいません、沖縄体験というとこんな事しかありません。恐縮。
沖縄戦や戦後の事実を知る人達が年々高齢化し、事実を伝えるのが難しくなりつつある事を危惧しています。