比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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今日は何の日・・・建国記念日・・・紀元節・・・神武天皇即位日

2010-02-11 | 今日は何の日
今日は何の日・・・むかしの紀元節・・・いまは建国記念日。
今から2670年くらい前、奈良の橿原宮で天皇家の初代(神武天皇)が即位した日。
話の根拠は「日本書紀」らしい(もちろん読んだことはない)。

              「紀元節」
     雲にそびゆる千穂の嶺オロシに艸(クサ)も木も
      靡き伏しけん大御世を仰ぐ今日こそ樂しけれ
                        (高崎正風作詞・伊澤修二作曲 明治21年小学唱歌)

日本書紀によれば神武天皇45歳のとき日向高千穂から東征を決意し瀬戸内海を東進、近畿の難波碕で上陸、抵抗勢力の長髄彦(ナガスネヒコ)に敗れ撤退、紀州那智勝浦の荒坂津に上陸、八咫烏(ヤタガラス・・・近畿勢力に圧迫された熊野の山道に精通した山の民?)の道案内で北上、今度は長髄彦を破り橿原に居つきます。侵略・略奪による進駐軍の居座り?ガザ地区に入植したイスラエルみたい。天皇家に背く逆賊として殺された長髄彦は哀れ。

橿原宮に奥さんと居を構え初代天皇家と名乗った年が辛酉年庚春朔・・・推古天皇9年から遡って1260年(還暦21回)前、BC660年といいます。つまりそれが日本建国の日。どうしてそういう計算をしたのかわかりません。春朔は旧暦正月一日。

ちなみに日本書紀は720年完成の舎人親王の作成による歴史書。影のプロジューサーは当時の天皇家のスタッフの最高権力者藤原不比等といわれます。一説によれば古事記の作者稗田阿礼は不比等とも。歴史を為政者に都合よく改竄する始まり? 不比等の系譜は宮廷内で公家として昭和の敗戦時(近衛公の自決)まで続きます。

話を元に戻そう。高千穂・・・ってどこでしょう。日向の国といいます。今の宮崎の国名ですが、日向(ヒムカ、ヒムキ、ヒナタ)という地名は全国いたるところにあります。九州だけでも50例近くあるようです。高千穂とは高い多くの山の頂ということです。困りました。天孫族の降臨地や饅頭屋さんの元祖は先に名乗ったところが勝ち?
神武一族はどこから出陣したのでしょう。建国元年はBC5世紀、吉野ヶ里遺跡は弥生式時代(BC10世紀からAC300年代)。さらに邪馬台国、卑弥呼の時代はAC3世紀の初めごろといわれますから、その関係はどうなるんでしょう。アタマが痛くなった
さらに頭が痛くなるのは神武天皇の系譜です。天地開闢で生まれた七世の最後はイザナミ・・・そこから何代かあとの血筋らしい。謎は深まるばかりだ。

漢字が中国から輸入され実用化されるようになったのは5世紀、天皇の生没、在位などが文字に残されるようになったのは飛鳥時代29代欽明天皇(507~571年)の時代から。神武天皇から28代までの約1200年の神話時代、古代王朝時代は文字による記録はないようです。口伝(伝承)です。つまり為政者に都合のいいフィクションもできるわけです。

長々と話しました。問題はそれを国民の祝日にしたことです。明治政府は1872年紀元節と定め、1891年小学校で祝日大祭に、1914年全国の神社で大祭を行うようになります。つまり封建時代から近代国家に生まれ変わるとき立憲君主国として国の象徴の権威づけが必要だったのです。まあ神話の世界なんて誰も信用していなかったようですし、笑い話のうちはよかったのですがね。皇紀2600年祭を1940年に盛大に行うようになるとおかしくなります。シンワをシンケンにシンじろというようになるのです。逆らう奴はアカとして逮捕です。翌1941年太平洋戦争に突入します。なお2月11日にしたのは根拠はないようです。

1945年太平洋戦争敗戦とともに廃止。1967年「建国記念日」として復活。復活の理由づけはわかりません。今の定説では建国元年BC660年説や神武天皇存在説は否定されているようです。つまり科学的根拠がないのです。学校教育で理科や算数や歴史や考古学を教えていて実証できないものを教えるのは無理があります。唯心論と唯物論。形而上学と形而下学。天動説と地動説。わたし的には神話の世界はロマンがあり好きです。でも科学的根拠のないものを信じたり信じなかったりするのは哲学の世界です。人の心を一本化するのは無理があります。

ちなみに皇室はこの行事を公式には行っていないようです。


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