比企の丘

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久しぶりの駅鉄・・・JR高崎線・・・東京駅を模した赤煉瓦の「深谷駅」

2021-01-04 | 鉄道と駅 関東編
・・・彩風人の写真帳・・・

正月、コロナ禍で冬ごもり・・・たまには外に出てウォーキング・・・今日はJR東日本高崎線深谷駅から岡部駅まで。
まずは深谷駅に・・・1883年開業、1986年国鉄からJRに、1996年橋上駅に、深谷市の地場産業の日本煉瓦製造㈱の煉瓦によって作られ東京駅にちなんで東京駅を模した赤煉瓦のデザインの駅舎に。1999年「関東の駅百線」に。2016年早朝無人化、2018年本庄駅管理下の業務委託駅に。2面3線。1日の乗客数10000人。

深谷駅北口・・・橋上駅への登り口、バス停。

深谷の生んだ近代日本資本主義の父「青淵先生渋沢栄一像」が・・・北口駅前広場に。
2020年12月30日のブログ⇒クリック「2021年NHK大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・・・渋沢栄一の生家・・・はこんなところ

橋上駅の正面玄関。・・・左右シンメトリーに

橋上駅・・・南側・・・

南口、バス停・・・北口正面と同じデザインになっています。

西側から・・・橋上駅を見る。
※撮影日は1月4日。カメラはスマホで。
深谷市・・・埼玉県北部、人口140000人の中堅都市、かつての中山道宿場町。生産量日本一の白葱(深谷ネギ)を中心に、花卉栽培、近郊野菜などの農業。東芝深谷工場、LIXIL深谷工場、赤城乳業などの工業団地。
日本煉瓦製造株式会社・・・1886年明治政府は現在の霞ヶ関に官庁集中化計画を立て臨時建設局(総裁井上馨)を設立、ドイツ人建築家を招聘、彼らは建築資材の煉瓦工場を作ることを政府に進言、1887年深谷市上敷免に日本煉瓦製造が辰野金吾(東京駅設計者)設計によって建設された。良質な煉瓦用土を産すること、利根川水路を使っての輸送が容易なことが立地条件になった。設立の中心になったのは渋沢栄一、三井物産の益田孝、利根川運河の池田栄亮、本庄の実業家諸井恒平らである。1888年ホフマン1号機完成、1889年本格的操業開始、動力源は最初は石炭、1906年より電力に。2006年廃業。
製品の輸送は、小山川から利根川に、関宿から江戸川へと舟運で運ばれて東京に、1895年、工場と深谷駅間4㎞に上敷免鉄道が敷かれた(1975年廃線、線路跡は自動車進入禁止のあかね通り)。

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