地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳
2017年夏の東欧を巡る旅・・・旅のはじめはマケドニア共和国・・・
マケドニアといえば古代アレクサンドロス大王(アレキサンダーは英語読み)の武力侵略の大遠征による大版図、コルコタの聖マザー・テレサの生誕地・・・そんなことしか知識がありません。
侵略と被支配の歴史・・・紀元前の古代ギリシァ人の国、アレクサンドロス大王で知られるマケドニア王国、紀元前1世紀からのローマ帝国支配、スラヴ人の侵入、東ローマ帝国の支配、15世紀から20世紀までオスマン帝國の版図に組み込まれた国。1931年バルカン戦争によりギリシァ、ブルガリア王国、セルビア王国に分割、そのごの第一次世界大戦、二次大戦の変遷、1945年ユーゴスラビア連邦マケドニア人民共和国に、1991年連邦から分離してマケドニア共和国に。マケドニアの国名呼称でギリシァと揉めている国。
マケドニアの首都スコピエ・・・を尋ねました。
1963年ユーゴスラビア連邦時代にスコピエは震度6.1の大地震に、死者1000人以上、家屋80%以上が壊滅。日本の丹下健三(1913~2005年)が加わった世界的な「スコピエ2014」という大プロジェクトで復興計画が進められ多くのクラシカルな建物、モニュメントが復元しています。。
オールドバザールの時計塔・・・
その横に時計塔より高い?・・・ピリッポス2世(古代マケドニア王国の王様・・・アレクサンドロス大王の父)のモニュメントがそそり立つ。

パルテノン宮殿の円柱を思わせる国立考古学博物館・・・2004年復元。

ヴァルダル川に架かる・・・旧市街と新市街を結ぶ・・・石橋(カメン・モスト)・・・オスマン帝国の1451~1469年に架けられたという、

石橋の南側から考古学博物館、ピリッポス2世の像が見える。

石橋は歩道橋・・・結婚式の花婿、花嫁・・・おめでとう

その横に時計塔より高い?・・・ピリッポス2世(古代マケドニア王国の王様・・・アレクサンドロス大王の父)のモニュメントがそそり立つ。

パルテノン宮殿の円柱を思わせる国立考古学博物館・・・2004年復元。

ヴァルダル川に架かる・・・旧市街と新市街を結ぶ・・・石橋(カメン・モスト)・・・オスマン帝国の1451~1469年に架けられたという、

石橋の南側から考古学博物館、ピリッポス2世の像が見える。

石橋は歩道橋・・・結婚式の花婿、花嫁・・・おめでとう


※撮影日は2017年7月24日。
※旅の写真は・・・キャプションがないと自分だけわかるただの風景です。「彩風人の写真帳」の画像にキャプションをつけていますが未消化です。高校時代の「世界史」の教科書でしか」知らない国です。勉強しています。※コメント欄開いています。
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