比企の丘

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南信州を行く①・・・飯田線平岡駅

2010-08-27 | 鉄道と駅 甲信越編
8月15日早朝、昨日行った和田峠、今度は新和田トンネルを抜けて岡谷に、岡谷ICから伊那高遠に、そこで用事をすませ、次はふるいふるい友だちを訪ねて飯田市に。その前に南信州のプチドライブを思い立ち長野、静岡の県境の天龍村まで一走り。中央道飯田山本IC、三遠南信自動車道で天竜峡近くに、そこから国道151号線で南に。阿南町早稲田(550m)から県道244号線で天竜川の川べり(350m)まで標高差200mを急激に下ります。県道1号線を天竜川沿いに南に。ほとんど直角の断崖、下はダム湖、スリルがあります。行き交う車もありません。

ダム湖の向こうに飯田線が。
カーブとトンネルの連続です。自動車道もスリルありますが電車もスリルあります。

さらに飯田線の線路が見えます。
南信州の南のはずれ天龍村の平岡駅に向います。南の外れといっても静岡県との境までにはまだ3つの駅がありますが。

JR飯田線平岡駅。JR東海373系、特急「伊那路」(豊橋ー飯田)が入ってきました。
急傾斜の段々の土地、道路のすぐ上の段です。この駅はプラットホームが上下1車線の島式になっています。ほかに構内引込み線もあります。地方の主要駅ということもありますが、遠山郷からの木材積み出し駅、平岡ダム建設の資材搬入駅としての名残でしょうか。

ホームから駅には今では珍しくなったレールの上を行く構内踏み切り式を通ります。
駅舎は「ふれあいステーション龍泉閣」・・・2階の位置に駅舎(業務委託駅)があります。温泉、宿泊設備、観光案内所、地域物産店、売店、食堂。

3両編成、特急「伊那路」は飯田方面に。「テッチャん」ではありません。たまたま特急電車が来たのです。特急は1日2本。各駅停車だって1時間に1本です。

平岡駅・・・1936年「満島駅」として開業。1952年「平岡駅」に。「遠山口」が廃駅になり南アルプスの麓の村「遠山郷」に公道が通ずる唯一の駅でした(いまは飯田より矢筈トンネルが抜けています)。
飯田線・・・東海道豊橋駅から中央線辰野駅間の196km、1897年豊橋側から、1903年辰野側から、1837年大嵐ー小和田間で全線開通。実に40年。山を穿ち、谷を削りの難事業でした。特に1927年からはじめた三信鉄道の三河川合ー天竜峡間は昭和恐慌に遭遇、経済危機で資金繰りにも苦しめられコスト削減のため朝鮮からの出稼ぎ労働者をあてたが賃金支払いも滞り労働争議まで起こし、さらに中央構造線上のもろい岩盤と保安設備の劣悪さで多数の犠牲者を出し、日本鉄道史上に残る凄惨な工事といわれます。工事を請け負った飛島組にいて工事資金を立て替えるということもした熊谷三太郎はのちの熊谷組の創業者。

長野県下伊那郡天龍村。1875年小さな村が集まって平岡村と神原村に、そのご神原村から長島村が分離、1889年長島村は平岡村に。1956年昭和の大合併で平岡村と神原村が合併して天龍村に。わたし的にはこの「天龍村」という地名は好きでない。天竜川というのは諏訪湖から太平洋まで213kmを流れる大河であり流域全体の住民のものだからです。

《参考》平岡駅の地図です→平岡駅

南信州の旅②に続きます。


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