「港町ブルース」で・・・ 港 宮古 釜石 気仙沼 ・・・と歌われた気仙沼。
港町といえばウミネコ、ユリカモメがつき物ですが出船入船が少ないのかあまり姿が見えません。
近くにウミネコが1羽いました。
気仙沼と大島を結ぶフェリー(306㌧)、この船は大島で岸壁から200m離れた陸地に打ち上げたれたものをクレーンで吊り上げ海に戻したもの・・・と思う。
大島フェリーは1日10数往復、大島と気仙沼を繋ぐ大島の人たちの生命線です。
《余談1》気仙沼市街と大島を結ぶフェリーが今回の震災で大きな被害を受けました。広島県江田島市、愛媛県新居浜市からフェリーの無償貸与・譲渡を受けたことが報じられていました。
《余談2》そのむかし萩本欣一の人気テレビ番組「欽ドン!」に出演していた「気仙沼ちゃん」を覚えていますか。いまは大島で民宿の女将。震災で床上浸水、営業再開は数年後だそうですが頑張っているようです。
こうして海を見ていると何事もなかったように見えますが、フォトポイントの背中側は津波と家の倒壊と燃料タンクからのガソリン漏れによる火災の発生で大被害だったことがわかります。海にはイカ釣り船が浮かんでいますが漁船の被害も甚大、被災を免れた船はわずかでしょう。水産工場の被害も甚大、一刻も早い復興を祈ります。
《追伸》・・・2泊3日の旅、実際は中の1日だけが「見て歩き」になりました。見て歩きといっても表面だけです。お手伝いもせずに入り込めません。気仙沼まで来てこの地方の生活圏の一部ともいえる陸前高田、大船渡まで行きたかったのですが時間の関係でここでUターンです。ここより北の被害状況は下記に記しました。下記の数字はネット上で個人のHP,ブログでまとめられたのをつかわさせてもらいました。
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
津波の高さ 死者・行方不明者
気仙沼 7.7m 1405名
陸前高田 15.0m 1951名
大船渡 9.5m 452名
釜石 9.3m 1091名
宮古 12.2m 542名
港町といえばウミネコ、ユリカモメがつき物ですが出船入船が少ないのかあまり姿が見えません。
近くにウミネコが1羽いました。
漁港の岸壁にイカ釣り船が停泊しています。
海の向こうは水産加工工場、製氷会社、造船所など。
お魚いちばという観光市場の二階のテラスから。
海の向こうは水産加工工場、製氷会社、造船所など。
お魚いちばという観光市場の二階のテラスから。
気仙沼と大島を結ぶフェリー(306㌧)、この船は大島で岸壁から200m離れた陸地に打ち上げたれたものをクレーンで吊り上げ海に戻したもの・・・と思う。
大島フェリーは1日10数往復、大島と気仙沼を繋ぐ大島の人たちの生命線です。
《余談1》気仙沼市街と大島を結ぶフェリーが今回の震災で大きな被害を受けました。広島県江田島市、愛媛県新居浜市からフェリーの無償貸与・譲渡を受けたことが報じられていました。
《余談2》そのむかし萩本欣一の人気テレビ番組「欽ドン!」に出演していた「気仙沼ちゃん」を覚えていますか。いまは大島で民宿の女将。震災で床上浸水、営業再開は数年後だそうですが頑張っているようです。
こうして海を見ていると何事もなかったように見えますが、フォトポイントの背中側は津波と家の倒壊と燃料タンクからのガソリン漏れによる火災の発生で大被害だったことがわかります。海にはイカ釣り船が浮かんでいますが漁船の被害も甚大、被災を免れた船はわずかでしょう。水産工場の被害も甚大、一刻も早い復興を祈ります。
流す涙で 割る酒は
だました男の 味がする
あなたの影を ひきずりながら
港 宮古 釜石 気仙沼
「港町ブルース」(1969年 作詞 深津武志 補作詞 なかにし礼 作曲 猪俣公章)
だました男の 味がする
あなたの影を ひきずりながら
港 宮古 釜石 気仙沼
「港町ブルース」(1969年 作詞 深津武志 補作詞 なかにし礼 作曲 猪俣公章)
《追伸》・・・2泊3日の旅、実際は中の1日だけが「見て歩き」になりました。見て歩きといっても表面だけです。お手伝いもせずに入り込めません。気仙沼まで来てこの地方の生活圏の一部ともいえる陸前高田、大船渡まで行きたかったのですが時間の関係でここでUターンです。ここより北の被害状況は下記に記しました。下記の数字はネット上で個人のHP,ブログでまとめられたのをつかわさせてもらいました。
亡くなられた方のご冥福をお祈りいたします。
津波の高さ 死者・行方不明者
気仙沼 7.7m 1405名
陸前高田 15.0m 1951名
大船渡 9.5m 452名
釜石 9.3m 1091名
宮古 12.2m 542名
きっっと書き込むヒキノ様もお辛かったことだと推察して居ります。
辛くても確り読ませて頂きますので、真実をお伝えください。心して受け止めます。
彼女のお店は 大丈夫かなあ~~
ですね。
サンマが豊魚?でしょうか・・
早い復願いたいものですね。
渡海船は立派です。
市民の足ですから~~
力を落とされた方がたくさんおられたことでしょう。
何にもできなくて申し訳なく思います。
世界中で自然が怒り狂っているように感じられます。
女川にも行きたかった。気仙沼から近い松原で有名な陸前高田、そして大船渡と旅を続けたかったのですが時間が足りませんでした。
いまは復興途中、震災後の生々しさはありませんがそれでも切ない風景が続きました。
私のブログを目を止めていてくれる人がいて、現地の人と共通する心を持っていただければと思います。
今度の震災で津波が床上震災しましたが、皆さん無事だったそうです。民宿再開は数年かかるそうです。
気仙沼はマグロの水揚げの町。フカヒレ加工日本一の町。
いまは日本中の漁船がサンマの水揚げをする町ですが港の受け入れ態勢がすべて壊れているようです。
フェリーは新居浜市の大島フェリーの退役フェリー「おおしま号」の無償譲渡を受けたそうです。
雨季でもないのに大水が出た原因。よくわかりません。
東北の大震災の爪あとを尋ねる旅をしました。
瓦礫もだいぶ片付けられています。瓦礫の片付けられ前はすごい光景であったと思いました。
私の写真が大勢人に見られて震災のことを思ってくれればと思います。
震災は自然の猛威、でも原発は人災でありその影響が少しずつ顕わになって来ました。50km以上離れた福島市で米に放射能が出ています。
震災の復興は進んでいますが、原発の避難地域では故郷を離れ復興にも向かえません。
別府高松あたりまでは出てきましたが
18番でも終わりは忘れています。
明るくて青空が綺麗で、震災があったとは思えないですね。
こんなに大きなイカ釣り漁船初めて見ました。
こちらのイカ釣り漁船は小さいのが多いです。
早く、東北地方、全体が早く元の姿になればよいですね