比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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中山道をゆく・・・碓氷の関所

2009-12-06 | 旧街道・峠道・旧宿場
妙義山の麓、横川駅あたり。旧道を横川駅から西へ、街のはずれのあたりにこんなもんがあります。

中山道碓氷の関所跡です。当事の東門といいます。
門柱と門扉は当事のものですが建物は復元したもの。現在の位置は当事のままではないようです。

現在の道です。もちろん当時と違います。道路の真ん中に東門、西門があり、門の中に御番所があり、道中手形改めなどが行われました。その周囲には同心長屋、番頭住宅などが並びます。
ということはこの関所の門はモニュメント(記念碑)ということです。

おじぎ石というのだそうです。

京の都の平安時代の899年、東海道の相模国足柄に足柄の関を、東山道の上野国碓氷に碓氷の関を作ったのが始まり。坂の東ですから坂東、関の東ですから関東と呼ぶようになりました。以来、明治維新まで碓氷峠の歴史は続きます。明治維新の時代に関所なんていうものは旧体制の監視所ですからいとも簡単に消滅してしまったようです。今は東門が残っていますが西門を始めほとんどが不明のようです。

ところでこの辺に立ってみると関所というものは地の利のいいところに設置したなという感じがします。いまでいう出入国管理事務所みたいなものですから、人が必ず通る場所がいいわけです。ということは山に囲まれた狭隘な谷間がいちばんです。この場所は坂本宿から碓氷峠への道であり、入山峠への道でもあります。
それではそのほかの国境はどうしたかというと必ず番所みたいなものがあったのです。むかしの人は間道を通って自由に全国を往来できなかったようです。


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