比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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雪の北海道・・・知床旅情・・・羅臼の丘からクナシリを見た

2012-03-10 | 道を行く 北海道
3月4日、北海道の最涯・・知床・・・羅臼の丘の上から・・・

根室海峡を挟んで30km先に・・・ロシア領クナシリ(国後)が見えます。
海上に白く見えるのは流氷です。
※カメラはLUMIX-GH2 300mm×2.0テレコン。40km以上離れた山ですからくっきりとはいきません。

羅臼の町の北のはずれ、県道87号線の脇に「しおかぜ公園」
森繁久彌の作った不朽の名曲「知床旅情」はこの町で生まれた。
知床の番屋の「留守番さん」を描いた映画「地の涯に生きるもの」
その映画の主人公オホーツク老人扮した森繁久彌のブロンズ像が立っている。
この前、ここを訪れたのは2004年9月。

「しおかぜ公園」の片隅に森繁久彌の筆による「知床旅情」の歌碑が。

「知床旅情」は戸川幸夫の小説「オホーツク老人」(1959年発表、1960年新潮社刊)に感銘した森繁久彌がこの小説の映画化を企画・・・タイトルは「地の涯に生きるもの」。1960年3月から6月までここ羅臼で長期ロケを行いました。ロケ打上げの日に森繁久彌がお世話になった羅臼の皆さんの前で障子紙に歌詞を書いて歌ったのが「サラバ羅臼よ」、のちに「知床旅情」としてレコーディングされます。それから10年後の1970年加藤登紀子がカバーして大ヒット、国民的歌謡になりました。それから20年後、1960年代、北海道をカニ族として彷徨っていた型染版画画家の関屋敏隆が再び知床を訪れ、その後、「オホーツク老人」の絵本化の許可をもらいに戸川幸夫を訪ねてます。絵本は「オホーツクの海に生きる」として戸川幸夫さの娘さんの戸川文が文を書いてで1996年ポプラ社から発刊されました。

動物文学のジャンルを作った小説家、イリオモテヤマネコの発見に貢献した戸川幸夫は元毎日新聞の記者、会社勤めを辞めたあと1959年知床を訪れ、実際に番屋を訪ね歩き、そのとき地元の人に聞いた話からいくつかの小説を書いています。

小説の主人公はエトロフ島生まれ、妻も三人の子供も失い番屋の留守番さんをしている彦市老人。休漁期には誰も居なくなる冬の知床の番屋(船でしか連絡の手段がない)、魚網がネズミに齧られないように猫を飼っていて、その猫の世話をするのが「留守番さん」です。ある日、流氷に乗り流された猫を救おうと自分も流氷に乗った老人は海に落ちて死にます。それだけの話ですが、戸川幸夫の自然と人に対する目が優しく厳しい。

遥か国後に 白夜は明ける・・・国後島の山の端から朝日があがります。
このあたりでは緯度的には白夜はありません。でもロマンですね。

森繁久彌の作詞・作曲で「知床旅情」と同じ旋律で「オホーツクの舟歌」という歌があります。映画「地の涯に生きるもの」の主題歌として森繁久彌が歌っています。歌詞は4節目です。

 オレオレ オシコイ 沖の声、舟歌
     秋アジだ エヤンサ 揚げる網は大漁
    霞むクナシリ わがふるさと
     いつの日か 詣でん
      み親の墓に


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