比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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南九州の旅・・・大隅半島東端・・・日豊本線の終着駅・・・志布志駅

2019-09-10 | 鉄道と駅 西日本編
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

南九州の旅・・・旅の4日目は大隅半島の付け根、東の端、太平洋側の志布志湾の中・・・志布志市へ。
志布志・・・鎌倉時代の文献に志布志の地名由来として、天智天皇がこの地を巡幸した折に土地の有力者の妻と侍女が布を献納したと伝えられ・・・上のものと下のものが布を献納したことにちなんで「志布志」という地名に・・・ということだそうです。天智天皇とは7世紀の大和王朝38代の天皇、古い時代から栄えた地のようです。江戸時代には薩摩藩の外城。地の利から海上交易(幕府非公認の密貿易)の中心となり志布志千軒といわれるほど栄えました。明治時代に入って衰退、日露戦争後の1904年ごろから海軍の船舶が寄港するようになり港湾設備の計画が起こり1919年から港湾整備測量が開始。1919年築港起工式、1925年に国鉄日南線、志布志線開業、1931年志布志港完成、1935年大隅線開業。交通の要衝に。苺、メロンなどの農業、牛、豚の畜産」、ウナギの養殖、水産業などが主力産業。

JR日南線の終着駅「志布志駅」1925年開業、1日の乗客数7人、無人駅。
現在の駅舎は1990年、元の駅舎から100m離れた場所に移動して新築したもの。
かつては国鉄志布志線(1925~1987年)、国鉄大隅線(1935~1987年)が運行。

JR日南線・・・南宮崎駅~志布志駅(88.9㎞)の終点です。単式ホーム1線路、砂利が積上げられている場所がレールの終点です。
3路線が乗り入れる鉄道の要衝であったため、いまなお引き込み線4本があります。

キハ40系・・・

駅名標・・・

3路線の乗入れる国鉄時代、機関区、車掌区、保線区が置かれ、まさに鉄道の町。港湾の町、物流の中心でした
※撮影日は7月14日。


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