比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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信州上田・・・リンゴのふるさとは

2017-12-01 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
11月29日、久しぶりの信州上田へ日帰り・・・
11月下旬は信州リンゴの最盛期。

いつも行く上田市芳田中吉田、千曲川右岸の河岸段丘上の傾斜地のリンゴ農家。
今年は春の雹害、秋の台風でサンザンだったそうです。特に秋の台風では数100kgが落果、箱詰めにできる良品はわずか。
落果状態の写真を見せていただきました。
毎年、注文してくるお客様にお断りをするのが辛かったそうです。

農業は自然相手・・・の生業であることがよくわかります。


サンふじ」の規格外。落果して傷がついたり、鳥のツツイた跡があったりしたものです。
段ボール持参で、良さそうなものを選んでいます。

30㎏買いました。値段は市販の1/4くらいかな。

蜜が入っていて美味しいです。

ヨケイな話ですが信州リンゴは・・・青森県に次いで生産量日本で2番。理由は水田耕地率の低いこと。1874年(明治7年)内務省勧業寮の指導で長野県に苗木が配布されたことからはじまり、明治中期から本格化、水はけの良い河岸段丘、扇状地(水利が悪く米作に適さない)、寡雨地帯に広まり、1893年信越本線、1902年篠ノ井線、1906年中央東線、1911年中央西線の開通により消費都市への流通ルートが開けたことも栽培の拡大に。昭和初期からの養蚕業の衰退で桑畑から林檎畑への転換でさらに拡大。第二次大戦敗戦後、食料不足でさらに需要がアップ、新植が増大。1960年代にピークを迎えた。1962年バナナの自由化からはじまり「1991牛肉オレンジ」と、これらの影響でリンゴは価格暴落、作付面積はピーク時の50%以下に減少。それでも生産量は青森県に次いで2番。

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