比企の丘

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草原の国モンゴル紀行⑫・・・首都ウランバートル・・・チンギスハーン広場

2018-11-01 | 道をゆく 台湾・中国・モンゴル
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

モンゴルの旅・・・首都ウランバートル(赤い英雄)・・・人口130万人(モンゴル国の人口300万人)。

ウランバートルの中心、スフバートル広場・・・チンギスハーン広場・・・
1921年モンゴル革命義勇軍を率いてここに入城した英雄スフバートルの騎馬像・・・です。

1911年中国で辛亥革命、清王朝滅亡。1917年ロシア革命、1918年清王朝の植民地であったモンゴルに中華民国軍侵入、1920年ロシア白軍侵入、1920年モンゴル人民党結成、人民義勇軍編成、1921年スフバートルに率いられた人民革命軍がイフ・フレー(現ウランバートル)に入城。活仏ボクト・ハーンを戴く立憲君主制モンゴル国建国、1923年スフバートル死去。1924年ボクト・ハーン死去、立憲君主制国家から社会主義のモンゴル人民共和国に。モンゴルの中心都市イフ・フレ―はウランバートル(赤い英雄)に改称。

モンゴルが中国清王朝の植民地から独立したのは20世紀のはじめ、辛亥革命、ロシア革命と重なり清王朝の版図を継承しようとした中華民国、、それを排除しようと革命後のソ連邦に頼ったモンゴル独立の指導者たち、民族運動の指導者たちがソ連の指導者たちに翻弄され独裁国家になっていきます。革命家たちは粛清を重ね、粛清した側が別の指導者に粛清されます。スフバートルの死も謎のようです。粛清の数は数万人にのぼり、ラマ僧の数はその半数、多くの寺院が破壊されます。1972年日モ国交開始、1980年代、ソビエトの雪融け、ペレストロイカ、1989年モンゴル人民革命党の一党独裁放棄、同年モンゴル駐在13万人のソ連軍撤退、1990年スターリン像撤去、1991年ソ連邦崩壊、1992年「モンゴル国」に国名改称。新憲法指定。2012年レーニン像撤去。

スフバートル広場の名前は最近チンギスハーン広場に変わっているようです。

チンギスハーン広場の奥正面に政府宮殿・・・中央の両側にモンゴル人民共和国の独裁者チョイバルサンと革命の英雄スフバートルの霊廟がありましたが2005年に撤去。モンゴル帝国2代オゴデイ・ハーン、5代フビライ・ハーンの騎馬像、中央にチンギス・ハーンの大座像が。

モンゴル国になってモンゴルの象徴として復権したチンギス・ハーン・・・モンゴル民族のアイデンティティーです。
※撮影日は2017年7月10日。
※モンゴル人民共和国時代・・・ソ連邦からの圧力でチンギス・ハーンはタブーでした。ロシアはモンゴル帝国、キプチャック・ハン国に500年支配された国・・・「タタールの軛」。ソ連の指導者スターリンはチンギス・ハーンを侵略者の象徴として徹底的に排除します。モンゴル民族主義者のアイデンティティーになることをおそれました。
ソ連邦の崩壊後・・・ソ連邦の衛星国を外れモンゴル国になったいま、チンギス・ハーンは復活、ボヤント・オハー国際空港はチンギスハーン空港、スフバートル大通りはチンギスハーン大通り、モンゴル一の大ホテルはチンギスハーンホテル、モンゴルの人気ウォッカはチンギスハーン、観光キャンプ場はチンギスハーン村。人気ロックバンドはチンギスハーン・・・人民共和国時代には口にしてもヤバかったチンギスハーンが甦っています。


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