比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

碓氷峠・・・旧信越本線アプトの道を訪ねて・・・最後は軽井沢から熊野皇大神社へ

2021-02-18 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
・・・彩風人の写真帳・・・

コロナ禍、緊急事態宣言の前の12月、旧信越本線(碓氷線)のアプトの道・・・を廃線トレイルウォーキング
熊ノ平駅までの6.3㎞、再び横川駅まで戻り、車で軽井沢へ。

旧中山道・・・碓氷峠(標高約1160m)・・・峠の頂上は群馬県安中市松井田町峠、長野県軽井沢町峠町の境界線・・・熊野皇大神社・熊野神社が県境に。

石段が続きます・・・線が引かれていませんが中央が県境です。

随身門です。

随身門を潜ると・・・中央に拝殿、奥に本宮、左の長野県側に那智遇、右の群馬県側に新宮。

左が長野県側の熊野皇大神社のお賽銭箱、右が群馬県側の熊野神社のお賽銭箱。


※撮影日は2020年12月7日。

★創建は景行天皇40年(AD110年)、ヤマトタケル東征の折に勧請という伝説が。かつては長倉神社熊野宮と称し、上州側にも境内が入っているため熊野宮と改め、明治に入り熊野皇大神社に。その後、群馬県側では熊野神社と呼称。三重県の熊野神社、山形県の熊野神社と並ぶ日本の三大熊野神社。1951年宗教法人法により各県ごとの登記が必要になり、一つの神社ですが二つの宗教法人扱いになり宮司、社務所、賽銭箱、お守り、ご祈祷は各県別々に。
ヤマトタケルが東征の折にここを通り、安房沖で入水し海の怒りを鎮めたという妻のオトタチバナを悼み「吾嬬はや」と叫んだという伝説の地・・・といわれているが・・・ほかに鳥居峠、足柄峠の説があり謎・・・峠の展望台から東の地を見下ろすとヤマトタケルオトタチバナとのロマンがシミジミと・・・


碓氷路は 「ずら」と「だんべえ」の 国ざかい


※コメント欄閉じています。


最新の画像もっと見る