比企の丘

彩の国・・・比企の丘・・・鳩山の村びと
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初夏の北安曇野・・・白馬村北城・・・ふたたびの青鬼(あおに)集落・・・石仏群を尋ねて

2017-06-30 | 信濃の国は

信州上田の・・・六文銭の写真帳・・・

四季美しい北安曇野・・・白馬山麓・・・白馬村北城(ほくじょう)・・・
標高680mの大出から比高約100m、標高760m。姫川の右岸の青鬼沢の渓谷の右岸の小さな河岸段丘。
5月2日、青鬼(あおに)集落を尋ねました。「日本の棚田百選」に選ばれた棚田、遠くに残雪の白馬連峰・不帰ノ嶮が。
   ※サムネイル画像クリックでズームアップ。さらにクリックで画面いっぱいにズーム。

6月2日、ふたたびの青鬼(あおに)集落です。
国指定の重要伝統的建造物保存地区・・・14棟の古民家群・・・茅葺(鉄板被覆)、寄棟平入、平側兜造り。
建屋の多くは江戸末期から明治初期、間口10間、奥行き5間、2階建て、養蚕用と思われます。壮大です。
幕末からはじまった生糸の外国輸出がこの村に養蚕繁栄を齎したのでしょうか。
棚田の開発は明治のはじめといわれます。村びと総出で水路(青鬼堰)開削を行い200枚の棚田を築いたといいます。。

そのむかし、千国街道からわかれて長野善光寺への参詣道(ぜんこうじみち)の街道ばたの村。
ぜんこうじみちは青鬼、鬼無里、戸隠という恐ろしげな名前の村を通っていました。
この道は現在は地図の上では完全に消えてしまい国土地理院の地図からも痕跡を見ることはできません。
参詣の道(信仰の道)は人の交流、物の交流の道でもあり街道の集落に情報、文化、経済力を齎しました。
この村に残る夥しい石仏群・・・旅の無事を祈る馬頭観音、庚申塔、道祖神は往時の街道の繁栄を物語っています。

馬頭観音・・・かな? 嘉永?という年号が見えます。
多くの石仏は風化して文字は判読困難、年号が読めたときウレシイですね。その時代にタイムスリップしたような気に…

双体道祖神・・・? 名もなき石工の芸術です・・・

一面二臂ですが・・・馬頭観音・・・かな?

よくワカリマセン?

お地蔵様・・・かな?
※撮影は6月2日 Panasonic LUMIX DMC-FZ100。

※青鬼集落の伝統的建築物は現在14棟、母屋から離れて7棟の土蔵があります。白馬村のホームページでは現在の世帯数8・・・と記されています。棚田は全200枚、現在の水田耕作は80枚のようです。一億総元気とかいうCFが空しく聞こえます。
※棚田の風景・・・絶景ですが俯瞰するスポットがありません。そういう地形だからです。白馬連峰とコラボして四季それぞれ違う顔を見せてくれます。
※馬頭観音・・・山間部の交易路では馬は流通の貴重なツールでした。使役の終った馬を懇ろに葬ったものと思います。形体、デザインは年代により石工により違うようです。
※道祖神・・・路傍の神、村境の守り神、塞の神、旅の無事を祈る神、夫婦和合の神。起源は定かでないが平安のころからか。双体道祖神は全国に3000体、甲信越、中部、関東の山間部に集中し、信州では中信地方の松本から安曇野にかけて1000体以上あるといわれます。
※棚田も農道も畦道も歴史的建造物も石仏も村びとが生活する場所です。美しい日本を見に来ることは大歓迎ですが、美しい日本を心で接してください。カメラマンのマナーなんてどうでもいいことです。村びとに会ったら挨拶しないなんて論外です。写真は写心です。


※これにて「春の北安曇野の白馬山麓のフォト紀行」は終わりです。美しい風景に感激しました。ぜひお出かけください。

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2 コメント

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北安曇野 (ころん)
2017-06-30 14:13:18
綺麗な村と歴史・・世界遺産に推薦ならないのでしょうか?
特に

>馬頭観音・・・かな?嘉永という年号が見えます。
これだけでも歴史を物語るでしょ・

機会があれば是非行ってみたいものです・
機会があったら是非・・・ (ころんさんへ・・・)
2017-07-01 14:08:32
北安曇野白馬村から小谷村。
四季それぞれ美しいところです。
温泉もあります。ぜひ尋ねて見てください。

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