比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

秋の信濃路・・・塩田平・・・浦野川の奥・・・義民の郷「あおき」

2017-12-17 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
秋・・・11月20日、東信州・・・塩田平・・・青木村・・・ぶらり歩き・・・
青木村・・・豊かな農村ですが江戸時代5回の百姓一揆をおこし首謀者が御定法により斬首された「義民の村」・・・その墓所を尋ねました。

信州上田の・・・六文銭の写真帳

青木村の象徴「夫神山」・・・江戸時代中期からの農民騒動は夫神山の北麓「夫神村」の農民の鬨の声からはじまった。


信州上田・・・千曲川左岸に塩田平という産川、浦野川の浸食平野が広がります。古代より築かれたため池群100余、肥沃な耕作地は江戸時代上田藩53000石のうち30000石を産みだし上田藩の穀倉といわれた地。古代東山道「浦野の駅」、中世鎌倉時代北条鎌倉家の拠点「信州の鎌倉」といわれた塩田郷の地。青木村は浦野川が山にさしかかるあたり、貧しい農村ではなかったと思いますが江戸時代の中期から後期に5回にわたり農民騒動が起き、そのリーダーを出した村。「義民の郷」と呼ばれる村です。
青木村公式サイトからですが・・・
天保の越訴(1682年)、享保の越訴(1721年)、宝暦騒動(1761年)、文化の越訴(1809年)、明治のチャラ金騒動(1869年。
なかでも宝暦の百姓一揆は近郷近在の百姓13000人が蜂起し、「宝暦騒動」「上田騒動」といわれた大騒動です。処刑された百姓は夫神村の百姓、組頭、庄屋の3名。墓は1941年(太平洋戦争の始まった年)村人により発見されその後手厚く葬られています。
※左の絵は青木村硬式サイトより。

国道143号線青木村役場のあたり、信号を左折沓掛方面に、さらにすぐ左折して沓掛川を渡り少し進みますと標識が。
清水半平、中沢浅之丞、西戸太郎兵衛の墓が。
江戸時代の一揆、百姓側の無理難題の訴えというのはなく、領主側の財政破綻による無理難題、凶作の年の年貢の取立てをめぐって、悪奉行、役人の不正などがほとんどです。
ほとんどが認められますが御定法で訴えた側は勝訴しても責任者は死刑。武家体制の体面を守るための理不尽な法制です。わかっていても改正できなかったのでしょうね。一揆側で暴徒化して打壊しなど行ったときの責任者の処刑はうなづけますが所定の手続きを越えて直訴、越訴したときの責任者の処刑はうなづけませんね。いまでいうと直接管理者を越えて内部告発というのです。デモはテロだなんていう政治家もいます。

リーダーは命を懸けて・・・辞世の歌・・・豊かな教養を感じます。


信濃国小県郡夫神村百姓清水半平(斬首)の墓。



信濃国小県郡夫神村百姓組頭中沢浅之丞(斬首)の墓。



信濃国小県郡夫神村庄屋西戸太郎兵衛(永牢のち釈放)の墓。


※撮影は11月20日。
国道143号線、ところどころに案内標識があります。この地に寄ったときぜひ見てください。
数100年前の百姓の叫びが聞こえます。
《参考》青木村公式サイト・・・義民資料展示室クリック

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