比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

信州・・・小諸・・・城下町・・・宿場町・・・市場町・・・江戸・明治・大正・昭和に浸る

2018-03-16 | 旧街道・峠道・旧宿場
信州上田の・・・六文銭の写真帳
1月22日・・・厳冬の・・・小諸・・・城下町、宿場町、市場町の・・・おもかげの残る街・・・ユックリと街歩き。静かで落ち着いた街です。
明治維新の戊辰戦争の戦火にも太平洋戦争の戦火にもあわなかったためか町割りがむかしのまま残っています。
江戸時代に造られた町屋造りの旅篭、醸造蔵、明治・大正期に造られた近代洋風建築、文豪島崎藤村ゆかりの店・・・など興味は尽きません。

大塚本店・・・江戸時代から続く造り酒屋。島崎藤村が「千曲川旅情の歌」で「濁りざけの濁れるのみて」と歌ったのはこの家の酒。
主屋は1750年代の建造と推定。二階の軒が低いのは江戸時代の町屋の建築規制による。昭和初期に1階部分はガラス窓などに改修。

揚羽屋・・・島崎藤村の「千曲川のスケッチ」に書かれている「一ぜんめし揚羽屋」。見たとおりの町の普通の食堂。
小諸駅から数分。小諸を訪れたらぜひ寄って見て。気分は文豪島崎藤村に。

萬屋骨董店(旧小諸銀行)・・・国の有形文化財。1881年設立の地方銀行、1880年代に建造されたもの。
木造2階建て、切妻、平入、桟瓦葺、漆喰壁、袖うだつ。桁行5間、梁間7間。
 
大塚味噌醤油店・・・1880年創業。主屋は江戸時代後期建造の町屋造り。明治時代に改修して二階の軒を高くしています。
袖蔵は明治期の建造。鏝仕上げの看板(鏝絵)が目立ちます。

酢久・・・江戸時代中期に創業した酢、味噌、醤油醸造業。江戸時代以前から続く与良村庄屋、豪農、豪商の小山家の経営。
四脚門の脇に立つのは吊るし看板。江戸中期のものと推定、見事な彫刻が施されています。

つたや旅館(現ギャラリー)・・・創業300年、現在の建屋は大正年間に旧小諸銀行(現萬屋)を模して建造。
木造2階建て、入母屋平入、桟瓦葺、漆喰壁。高濱虚子が疎開中に宿泊、全国の俳人を集めて句会をたびたび催したという。

ほんまち町屋会館、1862年創業の味噌醤油醸造業「旧清水屋」・・・国の有形文化財、地域交流センター、まち歩きお休み処。
現在の建屋は1923年建造、木造2階建て、切妻平入、桟瓦葺、外壁は漆喰。桁行7.5間、梁間6間。
※撮影日は1月22日。


※コメント欄開いています。

信州・・・小諸逍遥・・・近代俳句の巨匠「高濱虚子」の・・・「あの戦争」の時代の寓居を尋ねる

2018-03-16 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
信州上田の・・・六文銭の写真帳
1月22日・・・厳冬の・・・小諸・・・城下町、宿場町、市場町の・・・おもかげの残る街・・・散策です。
県道40号線(旧北国街道)荒町・与良町交叉点を東に、江戸時代からの町屋造りの建屋が見えてきます。

地域交流センター・まち歩きお休み処「北国街道与良館」です。
松屋(漆器屋、家具問屋)、ウダツの上がった江戸時代からの町屋造り(建造年不明)。2008年与良町交流センターに。
裏手に明治・大正。昭和の近代俳壇を牽引した「ホトトギス」の主宰者高濱虚子寓居跡高濱虚子記念館があります。

虚子庵入口、上に見えるのが「高濱虚子記念館」(2000年開館)。

虚子庵・・・虚子が太平洋戦争末期の戦火を避けて1944年から敗戦後の1947年まで疎開していた寓居です(74歳)。
※撮影日は1月22日。
柴を負い それにしめじの 篭を下げ     虚子

高濱虚子(1874~1959年)・・・愛媛県の生れ。明治・大正・昭和を代表する俳人。旧制伊予尋常中学校時代に後に新傾向俳句の旗頭となる河東碧梧桐と同級になり、彼の紹介で正岡子規に合い俳句の道を知リ、子規に「虚子」の号を授かリました。旧制三高(京都)、二高(仙台)で学ぶも中退、東京の子規の家に居候、「ホトトギス」を引き受け、俳句の世界に。伝統的な五七五、季語を重んじ、有韻、花鳥諷詠、写実、守旧派、虚子と言ったら「ホトトギス」、「ホトトギス」と言ったら俳句と、俳壇に君臨した人。「あの戦争」で戦火を避けて小諸に疎開したのは娘さんと小諸市の小山栄一さんと交流があってその関係で。小山栄一さんは小諸で江戸時代から続く豪農・豪商の小山本家の分家筋の人でしょうか。
小諸市では毎年4月に「虚子・こもろ全国俳句大会」を開催しています。


※コメント欄開いています。