比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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信州・・・小諸逍遥・・・近代俳句の巨匠「高濱虚子」の・・・「あの戦争」の時代の寓居を尋ねる

2018-03-16 | 信濃の国は 上田・佐久・東信濃
信州上田の・・・六文銭の写真帳
1月22日・・・厳冬の・・・小諸・・・城下町、宿場町、市場町の・・・おもかげの残る街・・・散策です。
県道40号線(旧北国街道)荒町・与良町交叉点を東に、江戸時代からの町屋造りの建屋が見えてきます。

地域交流センター・まち歩きお休み処「北国街道与良館」です。
松屋(漆器屋、家具問屋)、ウダツの上がった江戸時代からの町屋造り(建造年不明)。2008年与良町交流センターに。
裏手に明治・大正。昭和の近代俳壇を牽引した「ホトトギス」の主宰者高濱虚子寓居跡高濱虚子記念館があります。

虚子庵入口、上に見えるのが「高濱虚子記念館」(2000年開館)。

虚子庵・・・虚子が太平洋戦争末期の戦火を避けて1944年から敗戦後の1947年まで疎開していた寓居です(74歳)。
※撮影日は1月22日。
柴を負い それにしめじの 篭を下げ     虚子

高濱虚子(1874~1959年)・・・愛媛県の生れ。明治・大正・昭和を代表する俳人。旧制伊予尋常中学校時代に後に新傾向俳句の旗頭となる河東碧梧桐と同級になり、彼の紹介で正岡子規に合い俳句の道を知リ、子規に「虚子」の号を授かリました。旧制三高(京都)、二高(仙台)で学ぶも中退、東京の子規の家に居候、「ホトトギス」を引き受け、俳句の世界に。伝統的な五七五、季語を重んじ、有韻、花鳥諷詠、写実、守旧派、虚子と言ったら「ホトトギス」、「ホトトギス」と言ったら俳句と、俳壇に君臨した人。「あの戦争」で戦火を避けて小諸に疎開したのは娘さんと小諸市の小山栄一さんと交流があってその関係で。小山栄一さんは小諸で江戸時代から続く豪農・豪商の小山本家の分家筋の人でしょうか。
小諸市では毎年4月に「虚子・こもろ全国俳句大会」を開催しています。


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2 コメント

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朝っぱか (縄文人さんへ・・・)
2018-03-18 20:12:03
朝飯前の百姓仕事・・・この言葉、信州では「朝づくり」といったような記憶があります。
むかしの人は働いたのですね。

   ・冬備え 朝っぱらから 薪を割る
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俳人は長寿 (こきおばさんへ・・・)
2018-03-18 20:15:46
虚子は85歳、金子兜太85歳・・・俳人は長寿。
何時までも詩の心を失わず、頭の体操をしてるからでしょうか。
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