比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
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東京・・・谷根千散歩・・・へび道から根津へ

2013-12-04 | 道をゆく 東京散歩
11月29日、東京谷根千(やねせん)散歩・・・谷中銀座・・・突き当たると左右への道、南の方向に歩き出します。
よみせ通り」から「へび道」という通りに。道路が台東区谷中と文京区千駄木の区界になっています。かつてこの道路は染井霊園(豊島区駒込)から流れる藍染川という川の川道だったそうです。昭和初期に暗渠になって生活道路に。戦災も受けなかったのでしょうか、区画整理もされず蛇のようにクネクネした狭い道は藍染川の名残りとして残っているようです・・・戦前の昭和の東京の面影の残る散策路です。

戦前の東京の雰囲気を残す建物です。

根津神社あたりの建物です。2階の雨戸はすべてしまっていて現在はお住いになっているかは不明です。

不忍通り、地下鉄根津駅あたりにある建物です。大正6年の建造とか。文化庁指定有形文化財。
もとは江戸時代から続く爪皮屋(つまかわ、下駄の鼻緒のカバーみたいなの)だったそうです。
戦後になって今のオーナーが買い取って食事処「はん亭」を営みながら大切に保存しているそうです。
※逆光です。東京散歩は全部ポケットカメラで撮っているので逆光のとき画像に光が入ってしまいます。
谷根千」・・・上野台地と本郷台地に挟まれた藍染川の流路、なぜか昭和初期の面影の残る町です。

藍染川(谷田川)・・・もとは小平市花小金井の湧水を源流として練馬、板橋、北区から豊島区西ヶ原、染井、そして千駄木の谷を流れて不忍池に流入する石神井川であった。石神井川はいつの世にか遮断されて北区から隅田川に。現在の藍染川は豊島区の染井霊園の湧水を源流としていくつかの湧水が合流して、ほとんどが暗渠化して不忍池に。藍染川の名前はかつてこの地で藍染が盛んであったからであろう。石神井川の流路変遷・・・いつの世に流路が変わり北区から隅田川に流れ出るようになったかは記録がなく諸説あり、興味は尽きない。


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