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比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

東京散歩・・原宿・・表参道

2008-01-31 | 道をゆく 東京散歩
横山大観・・没後50年記念展に行きました。会場は国立新美術館、六本木乃木坂あたりです。行きは原宿あたりから歩くことにしました。
久しぶりの東京散歩。JR原宿駅から竹下通り、表参道青山通りまで歩いています。

竹下通りの入り口です。              中ほどにクレープ屋さんがあります。 

竹下通り、朝です。修学旅行の女学生群もおばちゃん軍団もいません。ガラクタを並べている横丁の商店街にしか見えません。ここを歩いてクレープを立食するのがギャルの夢なのかな。

表参道、むかしの同潤会アパート、今は?   通りの向かい側、ルイ・ビトン? 
 

竹下通りを抜けて明治通りを横切り青山通りに向かいます。左側のビルは同潤会アパートの生まれ変わりです。高名建築家の○藤ナニガシという方が設計されたものらしいですが、イイか悪いか評価されるのは50年後でしょう。わたし的にはむかしの静かな佇まいのカラーが好きだったのですが。
世界の有名ブランド店のオンパレード。わたし的には関係ない世界ですね。
服飾、装飾の世界はむかしからさまざまな言葉があります。
「馬子にも衣装」「豚に真珠」「ボロは着てても心は錦」・・・負け惜しみかな

キョロキョロしながら表参道を歩いていました。さあ六本木に行こう。

浜離宮・・銀座八丁目

2007-04-23 | 道をゆく 東京散歩
東京です。汐留から浜離宮に入りました。テレビ時代劇でお殿様が爺を連れて池の鯉に餌をやるシーンが出てきます。ここの池は海水ですから鯉はいません。ハゼやボラです。隅田川の河口に面していますが防潮堤が邪魔して見えません。
川に面してボンヤリとするベンチがあります。おススメです。

菜の花畑に汐留の高層ビル群です。何故かシックリこないなァ~

園内をブラブラ キョロキョロ歩きます。広い芝生にはツグミや椋鳥がなにやら餌をつついています。水壕には水鳥もいます。

お花畑もあります。ボタン園は牡丹も終わりに近く頭をたれていました。ソウだ 
藤棚に藤の花が咲いてます。ツツジの花が満開です。わが埼玉の比企の里より季節が進んでいるなぁ
東京は意外と緑地が多いと人は言います。都会地にしてはです。この緑地、明治のご維新のとき接収された徳川家とか大名家の屋敷地です。明治の時代、外国の御用学者のうちに緑地の必要性を説く人がいたようです。日本人にも優れた学者がいました。現在なら土地を食いつぶしているかも。日比谷公園、六儀園、小石川植物園、猿江公園、清澄公園、上野公園、新宿御苑、東大キャンパスすべて江戸時代の屋敷地です。江戸時代は火除けにもなったでしょう。でもこれだけの緑地も関東大震災や東京大空襲には役立たなかったようです。

浜離宮を出て新橋方面には行かず銀座8丁目に出ました。歩行者天国です。
土曜日もやってるのだ 5車線だ。

銀座のメイン通りから裏道のみゆき通り、つばき通りなどを歩き有楽町に出て地下鉄で家に帰りました。もちろんこの街は私の買い物をするランクではありません。
疲れた

汐留の風景・・浜離宮

2007-04-22 | 道をゆく 東京散歩
チョッとしたことでふたたび東京に行ってきました。汐留です。
ここは浜離宮です。用事が終わって浜離宮に来ました。閉園30分前です。
遠いむかしショッチュウ新橋に来たのですが何故か浜離宮には入ったことがありません。

築地方面からの入口、大手門橋から築地川  大手門、入園料300円
 

潮入りの池、中島茶屋、八重桜

高層ビル群のそばにこんな庭園が。でも庭園のほうが古いのです。1664年徳川家の別邸として建てられ整備されてきました。明治維新で天皇家の所有(勝ち組の接収です)になり1945年東京都に下賜されました。「恩賜庭園」といいます。
素晴らしい緑地です。都会の真ん中にこんなところがあるなんて信じられません。
お花見は終わったはずなのにまたお花見しちゃいました。銀座8丁目からすぐです。

ちなみに、浜松町のモノレール駅の東に見えるのは「芝離宮」です。

汐留の風景・旧新橋駅

2007-04-22 | 道をゆく 東京散歩
チョッとしたことでふたたび東京に行ってきました。
汐留です。ここはむかしの国鉄の操車場です。線路が何10本も敷いてあったところです。遠いむかし銀座8丁目から土橋を渡った新橋側のとあるビルに友だちがビルの夜番のアルバイトをしていてよく訪ねました。夜番と言ってもその会社の社員が帰れば鍵を掛けて遊びに行けるいい加減なものでした。ビルの屋上から操車場や浜離宮を眺めていました。
今は別世界。天を突くような巨大ビル群です。圧倒されて見ているだけでも疲れます。

オールド新橋ステーション・・旧新橋停車場・・復元されています。
何故か写真が生きてないなぁ~


何か無機質だなぁ。駅の中には鉄道歴史展示室(無料)、レストランなどがあります。
鉄道マニアはどうぞ


用事が終わったので無機質なビル街を離れ浜離宮を覗きに。閉園30分前です。
この話は・・・次

お花見・・谷中

2007-04-10 | 道をゆく 東京散歩
東京のお花見です。谷中霊園を歩いてます。上野から谷中銀座に行こうかなと思って歩いてましたが、途中のV字路で右に曲がってしまい桜並木に入りました。桜並木の入り口当たりに古い歴史があるらしい花屋があり旅籠風の家もあります。

桜並木の両サイドは昼間ですから宴会は始まってませんがブルーシートもあります。2組くらいお食事を楽しんでいるグループもあります。お墓でお花見の宴、最高です。


谷中霊園・・・明治になって政府がお寺さんの土地を没収?してできた都の管理の共同墓苑です。このあたりは江戸時代から城下町にはよくある寺町です。お寺とお墓ですから米軍の大空襲にもやられていません。
著名人のお墓が目白押しです。十五代将軍徳川慶喜の墓苑の案内板があります。中には入れません。道の直ぐ横に明治の毒婦?「高橋お伝」の墓(実際は歌碑)を見ました。

この道路の真ん中あたりに幸田露伴の小説「五重塔」で有名な感応寺(現天王寺)の五重塔の跡地があります。小説は明和9年(1772)の大火で焼失した塔の再建話です。再建した塔は昭和32年(1957)放火心中で焼失するまでありました。天王寺はこの道を真っ直ぐで突き当たります。

徳川慶喜の墓、案内板               谷中名物・・・さすらいのニャンちゃんたち
 

天王寺の前を左に回って墓苑の中を歩きます。お先祖様も迷惑がっていません。桜とそれを愛でる人の群れを眺めて喜んでるでしょう。ここからJR日暮里の駅は直ぐです。


この道を抜けて、まだ時間がある 夕焼けダンダン「谷中銀座」に行こう

お花見・上野

2007-04-09 | 道をゆく 東京散歩
東京の花見です。千鳥が淵、北の丸公園、皇居、昼飯を食して上野に向かいました。

しばらく考えました。これからどこへ行こう。国立西洋美術館の前庭です。
ロダンの「考える人」も考えてます。つきあいのイイ人だ。

国立西洋美術館(松方コレクションを含むここの蒐蔵品はスゴイ、前庭にあるロダンのブロンズもスゴイ)、上野の駅から徒歩1分。420円(65歳以上無料)。今日は入りません。上野で建築設計事務所をやってる友だちに電話して「コーヒーぐらいゴチソウしてよ」とねだる。1時間ぐらいオジャマシテ上野の森に入りました。

上野の森の宴会場                 因州(鳥取)池田家の上屋敷門
 

上野の森のブルーシートの宴会場を抜け、旧東京音楽学校奏楽堂(改装中)の横を通るとテレビ時代劇の大名屋敷の門みたいのが眼に入ります。因幡藩池田家江戸屋敷の門だそうです。リッパ!

さらに西北に東京芸大の前を歩いて行きますと谷中に出ます。この辺はアテズッポに歩いています。谷中墓地のサクラを見たいのです。

台東区下町風俗資料館(吉田屋酒店     和菓子「岡埜栄泉」 
 

タイムスリップしたような店があります。「岡埜栄泉」は上野に店を構える有名なお菓子屋さんです。この家はチョウ総本家でしょうか。ちなみに日本サッカー界の重鎮・岡野俊一郎さんはこの家のオボッチャマです。

次は谷中の墓地に入ります。

お花見・・北の丸公園

2007-04-07 | 道をゆく 東京散歩
東京のお花見です。物見遊山です。北の丸公園です。

九段下から田安門に入ります           田安門を潜ると武道館です
 

北の丸公園。国民公園だそうです。国立、国営、国民公園、こんがらかっちゃいます。国民公園はここと皇居外苑、新宿御苑、京都御苑の4箇所(環境省管理)のようです。要するに皇室財産だったところです。
桜の名所ですがブルーシートを敷いて宴会をやるところではありません。園内は芝生の広場もありますが雑木林の散策路もあります。小鳥の声も聞こえますがカラスが圧倒的に多いようで園内の小川でカラスの行水をしていました。ヒカリゴケの生息地?もあります。
ちなみに北の丸とはお殿様の正妻さんのことですがここでは北側の城郭ということでしょう。田安門とは八代将軍徳川吉宗の息子の分家の一つ田安家の屋敷があったことから。

シートを持ってきて寝転がってるペアもいます。平和だなぁ~。

ガングロのグループです 茶髪です       茶髪ですが雀?です
 

ここの地籍は千代田区北の丸公園といいます。どうもピンときません。代官町で覚えていました。高速道では今も代官町ランプといってます。1967年住居表示改正をしていました。

北の丸公園を南にぬけると国立近代美術館があります。ここをさらに南に向かい皇居東御苑に入りましょう。その話は明日に。

お花見・千鳥ヶ淵・・・千鳥が淵戦没者墓苑・・・靖国神社

2007-04-06 | 道をゆく 東京散歩
東京のお花見です
千鳥ヶ淵に沿って歩いています。この内堀はボートの乗り場があって、むかしはアベックのデートのメッカといわれました(古いなぁ~)。
今日もボートがいっぱい浮かんでます。寒いだろうな
皇居内(吹上御苑)も桜が咲いてます。


千鳥ヶ淵戦没者墓苑
千鳥ヶ淵を靖国神社方面に歩いてゆくと千鳥が淵戦没者墓苑に出ます。べつに遠いところではありません。東京のど真ん中です。静かな庭園の中に高名な建築家が設計した八角のあずまやがあって真ん中に陶製の棺を象ったモニュメント(記念体)があります。荘厳のものではありません。シンプルです。公園のような雰囲気です。


裏側から見てます。陶製の棺です。先の大戦、1937年より国外でなくなった軍人、軍属、民間人240万人。そのうち遺体識別不明の方を祀ってます。遺骨収集団の方々が集められた遺骨はわずか35万柱、未だに未回収116万柱。
すべての信教の方々の記念碑です。厚労省、環境省の管理。1959年設立。

靖国神社は千鳥が淵戦没者墓苑から徒歩でも5分とかかりません。眼と鼻の先です。
毎年、問題になっている総理大臣の靖国参拝、なぜ千鳥が淵にも寄らないのでしょうか
戦没者墓苑の昨年の秋季慰霊祭、皇室の方は出ていますが総理は下村官房副長官に「追悼の辞」を代読させています。
外国から訪れた国家元首、大統領がこの墓苑を訪れるという話も聞きません。
欧米では「無名戦士の墓」を外国からの国賓の参拝の場にしますが特定の宗教の場を国家行事の場にしません。
わたし的な意見ですが一国の首相の立場ではなく個人としてなら毎日でも靖国参拝はいいのだと思います。


靖国神社、大戦に破れるまでは陸軍、海軍省の管理下に置かれた他の神社とは別格の「国家神道の象徴」でした(他の神社は内務省)。1946年(敗戦の翌年)一般の神社、仏閣と同じ宗教法人となり国家の管理を離れました。
キリスト教も仏教も台湾の方も一緒くたに合祀しています。
それ以上は言えません。

東京の桜の開花宣言の指針はここの桜だそうです。
今週中まで桜祭りです。屋台店も出て賑やかです。大村益次郎(村田蔵六)の銅像も上野の森を睨んでいます。この人については司馬遼太郎「花神」(新潮社1972)、NHK大河ドラマ「花神」(1977)がありますが見てません。

歩道橋を超えると「北の丸公園」です。
日本武道館」が見えます。ビートルズが公演をしたところです。

ここも桜の名所です。

この話は明日の続き

お花見・半蔵門・千鳥ヶ淵公園

2007-04-05 | 道をゆく 東京散歩
天気が回復したのでお花見に行く気になりました。今年はどこに行こうか。
そうだ東京に行こう

地下鉄永田町をおりて国会図書館、国立劇場の前をとおりヒタスラ歩きます。
半蔵門の前に出ました。これから九段の靖国神社に向かって皇居の内堀「千鳥が淵公園」をお花見です。

「半蔵門」です。奥に見えるのは「吹上御所」。

服部半蔵。本能寺の変で家康が堺から三河へ逃避行をする際、伊賀越えのガイドを務めたのは有名。2代目正成が徳川家康に仕え8000石の旗本。伊賀同心(忍者)200人を束ねた頭領。半蔵門の名前はこの門外に伊賀同心の屋敷があり門の警護に当たった事から。3代目正就の代で改易(ボンクラだった)。

内堀に沿って歩きます。桜の並木です。このあたりはマラソンランナーのメッカです。

半蔵門も遠くに見えるようになりました    英国大使館(青いバスは警察車両)
 

久しぶりの東京です。この話は明日に続きます


東京の花見・小石川植物園

2007-03-25 | 道をゆく 東京散歩
花見の時期というのにパッとしない天気が続きます。天気にな~れ
むかしの写真を持ち出して花見に行った気になろう

4年前の東京の風景です。東京は小石川「播磨坂さくら並木」。

地下鉄「茗荷谷」から5分くらいのところです。このあたりは文京区の文教地区、御茶ノ水女子大、筑波大、跡見学園女子短大、東洋大、拓殖大などがあります。この桜並木は「播磨坂」という名前だと最近知りました。松平播磨守上屋敷(常陸府中藩)のあった所だそうです。幅員50mくらい長さ400mくらいの道路です(戦後の区画整理で作った環状3号線という道路)。広すぎて真ん中に緑地公園を作り150本のさくらを植えたのだそうです。
東京のど真ん中。しかも道のど真ん中のさくらの名所です。
この坂を下りると小石川植物園(正式には東大理学部付属植物園)があります。パンフレットを貰いました。
五代将軍綱吉公の館林家の御殿跡です。1684年江戸幕府の薬園になり養生所になっています。テレビドラマ「大岡越前」で竹脇無我扮する榊原伊織のいる療養所です。映画「赤ひげ先生」でもおなじみです。この植物園、武蔵野台地のはずれの段丘の上に、いわゆる庭園作りではなく自然の地形そのままに作ってあります。
ここにはニュートンのリンゴの木の接木原木があります。ハンカチの木、メタセコイアの接木原木もあるようです。なかなかのものです。
さくらは満開でした。宴会は出来ません

園内をぐるぐる回っていると小さな日本庭園に出ます。東大構内から移築した旧東京医学校の校舎の建物があります。ピンクのミツマタも咲いてます。
ここは野鳥の王国です。野生化したインコも見えます。野生化したニャンニャンも集団でいます。

この近くに日本庭園で有名な「六義園」がありますが、わたしは公園としてはこちらのほうが好きです。
植物園を出て「御殿坂」(富士見坂とも)を超えて白山下方面に出て、それから神田にまわり甘味処「たけむら」に行きました。ここは揚げ饅頭が有名のようです。味は揚げ饅頭です。
むかしの話でした。