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比企の丘

彩の国・・・比企丘陵・・・鳩山の里びと。
写真、文章のリンク自由。

2019雪と氷の北海道紀行・・・美瑛・・・ライトアップされた・・・神秘の・・・青い池

2019-03-03 | 道を行く 北海道
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

雪と氷の北海道の旅・・・美瑛町白金・・・神秘の青い池・・・にやって来ました。
1988年噴火した十勝岳の火山泥流の砂防堤として美瑛川に1989年造成された堰堤の一つ、川の左岸にまで長くコンクリートブロックが積まれそこに水が溜まり池になった・・・人造の水溜りです。
上流からの水流に混ざる水酸化アルミニュームの粒子が光と屈折して青い色を見せるようになり、林床が水没して立ち枯れ状態になった白樺、カラマツの風景とあいまって、神秘的な姿を演出してくれます。
2014年テレ朝放映の「奇跡の地球物語」で一躍有名になりました。

ライトアップされた「青い池」・・・雪が深く池の面が見えません。




※撮影日は1月30日。


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2019雪と氷の北海道紀行・・・日本最北端の岬・・・稚内・・・宗谷岬からサハリンが見える

2019-02-20 | 道を行く 北海道
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

北緯45度31分・・・日本最北端の岬・・・・宗谷岬です。
「宗谷」の語源はアイヌ語の「ソヤ(岩・岸)」。

日本最北端の地の碑・・・中央のNの文字はNorthを表し、高4.531mは北緯を表している。


間宮林蔵の像・・・間宮林蔵(1780~1844年)・・・江戸時代後期の幕府の御庭番、探検家、常陸国筑波郡の農民の子として生まれ、のちに幕府の下役人になり、伊能忠敬に測量術を学び、西蝦夷地、千島、樺太を探検、樺太が島であることを確認した。樺太とユーラシ大陸との間の海峡を間宮海峡(タタール海峡)と呼ぶ。


宗谷海峡を挟んで・・・43㎞の向う・・・サハリンが見える。
※撮影日は1月29日。
ちなみに・・・☆サハリンとは・・・満州語(ツングース語系)で「黒龍江の河口の岩山」の意といわれ、樺太(からふと)とは・・・アイヌ語で「カムイ・カラ・プト・ヤ・モシリ 」・・・神が河口に造った島・・・の意といわれる。東西160㎞(最狭部26㎞)、南北948㎞の大きな島、ユーラシア大陸との最狭距離7.3㎞(黒龍水道)、冬季氷結のため徒歩で通行可能。稚内~コルサコフ(旧大泊)航路は159㎞、5時間半。

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2019雪と氷の北海道紀行・・・日本最大のコハクチョウ中継地・・・クッチャラ湖

2019-02-14 | 道を行く 北海道
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

雪と氷の北海道の旅・・・稚内から東に90㎞、オホーツク海に面した浜頓別町にやってきました。
コハクチョウの北帰行の中継地と知られるクッチャラ湖です。大小二つの沼がつながる汽水湖、周囲27㎞。ラムサール条約登録。
クッチャラ湖の名前の由来は・・・アイヌ語のクッチャラ・・・沼の水が流れ出る口。


日本最大のコハクチョウ20000羽の中継地だそうです・・・なぜコハクチョウだけでオオハクチョウが中継地にしないか・・・ワカリマセン

オホーツク海・・・


※撮影日は1月29日。
☆浜頓別町・・・人口3600人、酪農、漁業。ホタテの出荷年間水揚げ量1.5~20000㌧、地名由来・・・アイヌ語の・・・トー・ウン・ペッ・・・湖から出る川。


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2019雪と氷の北海道紀行・・・稚内・・・ノシャップ岬で

2019-02-11 | 道を行く 北海道
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

ノシャップ岬です。宗谷湾の西の突端、利尻水道を挟んでで利尻島、礼文島が目の前に、晴れた日には宗谷海峡を挟んで遥かにサハリンの山々が望めます。
ノシャップ岬(野寒布岬)・・・アイヌ語でノッ・シャム、「岬が顎 のように突き出たところ」「波の砕ける場所」の2つの意味があるとか。
ノサップ岬(納沙布岬)・・・根室半島の突先にある日本最東端の岬です。意味は同じだと思います。


「夕陽の名所」だそうですが、今日の夕陽は雲の中。ザンネン

寒流水族館で幻の魚イトウを見た。
※撮影日は1月28日。


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2019雪と氷の北海道紀行・・・抜海漁港の・・・アザラシ越冬地に・・・アザラシはいなかった

2019-02-10 | 道を行く 北海道
2018雪と氷の北海道の旅・・・
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

旅のはじまりは・・・
稚内市抜海漁港・・・日本海を挟んで利尻富士が・・・見えるはずですが・・・
抜海漁港の岩壁・・・テトラポットのあたり・・・ゴマフアザラシが数十頭と越冬してるはずですが・・・

海が荒れていて・・・アザラシも・・・利尻富士も・・・見えません。


ときおりアザラシの子どもがプカリプカリと・・・



オオセグロカモメ・・・かな?
※撮影日は1月28日。


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2019雪と氷の北海道紀行・・・日本最北端の町・・・稚内・・・北防波堤ドーム

2019-02-08 | 道を行く 北海道
2019雪と氷の北海道の旅・・・旅のはじめは稚内。
日本最北端の地・・稚内市・・・宗谷地方の中心地、国、道、企業の出先機関が集中しています。
人口34000人、水産、農業、観光を中心にした静かな町です。
稚内の地名は・・・ヤムワッカナイ・・・「冷たい・水の川」より、現在の港1丁目付近にあった小川が由来とか。
地球を歩く旅人・・・彩風人の写真帳

稚内の第一歩は・・・稚内港のシンボル「北防波堤ドーム」・・・です。
1936年完成、1981年修復、高さ14m、長さ427m。古代ギリシア建築を彷彿させる70本の円柱は圧巻です。土木学会選奨土木遺産、北海道遺産選定。
かつては稚内・カラフト大泊を結ぶ稚泊連絡船の埠頭として数多くの物語りを見てきました。今は静かに優雅な佇まいを見せています。
この港では現在、国際航路として稚内~コルサコフ(北海道サハリン航路) 、国内航路として稚内~鴛泊(利尻島)、稚内~香深(礼文島)があります。









※撮影日は1月28日。

2005年6月、利尻、礼文島をたずねたとき、連絡船から見た北防波堤です。
懐かしい思い出です。
サムネイル画像・・・クリックでズームアップします。

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2017の春4月・・・北海道の旅・・・釧路、ノサップ、ウトロ、美瑛、札幌・・・そして終章

2017-09-05 | 道を行く 北海道
2017年、春の北海道の旅・・・
帯広、釧路、根室、花咲、ノサップ、ウトロ・・・網走・・・旭川、美瑛、旭岳、札幌・・・。
・・・彩風人の写真帳・・・

春4月・・・釧路、根室、花咲、納沙布の海に流氷が押し寄せ、大雪や羅臼の山々は冬の装い・・・北海道のの冬は長く厳しい。
画像をコラージュして振り返ってみた。

北海道・・・その名は今から148年前の1869年に松浦武四郎の提案により名付けられたという。
松浦武四郎(1818~1888年)・・・伊勢国一志郡須川村(現松阪市)の農家の出。御師、僧籍、国学者、篆刻家、本草学者、民俗学者、地理学者、浮世絵師、登山家、探検家、さまざまな顔を持つ。青年のころ京都、江戸、中部山岳、中四国、九州、東北を歩く。27歳で帰郷するがふたたび旅立ち、28歳で鰍沢より松前に、以後42歳までに6度蝦夷地を踏み、樺太、択捉まで及んだ。「久摺日誌」他、多く日記で蝦夷地の考察文を残し、特に松前藩の場所請負人がアイヌに対して暴虐な扱いをしていることを糾弾している(場所請負…松前藩が統治する場所を民間に丸投げにして収益のみをとっていた制度…すべてではないであろうが領民に対して奴隷的な搾取をしていた請負人がいたという)。1866年江戸幕府蝦夷御用御庸、明治維新後の1869年明治政府の開拓判官、蝦夷地の県名、支庁名、郡名、村名の決定のために献策した。北海道の地名、最初の案では北加伊道、北海道。海北道、海鳥道、東北道、千島道、日高見道・・・などの7案、その中で北加伊道・・・北海道となったという。「カイ」は武四郎が天塩川の古潭でアイヌに教えられた「カイ=この地に生まれた者」の言葉によるといわれる。
武四郎の詠んだ歌。「心せよ えみしも同じ人にして この国人の数ならぬかは」。


北海道を旅したとき・・・自然に入ってくる札幌とか小樽とか帯広とかいう地名。全部ではありませんがアイヌの言葉からその音を漢字に当て字したものになっています。先住者の残した貴重な地名を植民したものがそのまま残す。アイヌを愛してやまなかった松浦武四郎の心だったかもしれません。武四郎は翌1870年明治政府開拓使たちのアイヌへの偏見差別に憤り職を辞したといわれます。
「地名は先人たちの歴史を語る」・・・戦前、日本は旧満州に乃木町、東郷町とかの地名をつけました。台湾の玉山を新高山と改名しました。西欧の植民地も同じです。いまアラスカのMtマッキンレーは「デナリ」と旧名に戻しました。

ブログで紀行を記す、できるだけ人に感動を伝えたい、のちのちのガイドの端くれになって役に立ちたいと思う。アクセスや地誌など簡単に記す、北海道の場合、その地名のいわれも記したい・・・そんな気持ちで書いてみました。

美瑛のパッチワークの丘は連作障害を避ける百姓のむかしからの知恵です。畑に入って写真を撮らないでください。世界一のヒグマの密集地知床・・・ソーセージでヒグマを寄せて写真を撮る馬鹿がいるそうです。

北海道・・・自然とは何か、開拓とは何か、生きものたちとの共存とは何か・・・


※2017北北海道の春・・・の紀行はこれで終了です。

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2017年北海道の春・・・旅の終りは・・・キリンビール千歳工場でカンパ~イ!

2017-08-29 | 道を行く 北海道
2017年、春の北海道の旅・・・
帯広、釧路、根室、花咲、ノサップ、ウトロ・・・網走・・・旭川、美瑛、旭岳、札幌・・・旅の終りは千歳空港へ。
・・・彩風人の写真帳・・・

千歳空港に入る前に、チョッと寄り道。
JR千歳線「長都駅」(おさつえき)のそばにあるキリンビール北海道千歳工場・・・
長都駅から歩いても10分弱ですが千歳駅からキリンビアパーク見学用のシャトルバスがあります。

キリンビアパークの見学コース

ウマさ体感

一番搾り

昨日はサッポロビール、今日はキリンビール・・・北の大地のビールは美味い
※撮影日は2017年4月7日 Canon PowerShot G7X。

長都駅・・・おさつ駅と読みます。アイヌ語でオ・サツ・ぺツ・・・「川尻の乾いた川」という意味の表音文字。




2017年北海道の春・・・北の都のシンボル・・・札幌大通公園・・・幅105m、長さ1500m

2017-08-28 | 道を行く 北海道
2017年、春の北海道の旅・・・
帯広、釧路、根室、花咲、ノサップ、ウトロ・・・網走・・・旭川、美瑛、旭岳、そして札幌。
・・・彩風人の写真帳・・・

旅の終りは近い・・・札幌大通公園 午後4時53分。
日本の道100選・日本の都市公園100選・日本の景観100選・日本の歴史公園100選・・・
札幌市中央区大通り西1丁目から13丁目まで。南北に幅105m、東西に長さ1500m。
季節の花を植えた花壇、ライラック、楡の木、欅などが美しい。
※撮影日は2017年4月6日 Canon PowerShot G7X。
※1869年(明治2年)からの札幌府都市計画で街造りがはじまる。ここは条丁の町割りでいえば0条、ここから北へ北一条~、南へ南一条~。幾多の変遷を経て現在の北の都のシンボルに。




2017年北海道の春・・・札幌・・・「白い恋人」パーク

2017-08-27 | 道を行く 北海道
2017年、春の北海道の旅・・・
帯広、釧路、根室、花咲、ノサップ、ウトロ・・・網走・・・旭川、美瑛、旭岳、そして札幌。
4月6日、札幌ブラブラ歩き・・・札幌といえば・・・土産は「白い恋人」・・・安くて軽くてガサがあって見栄えがイイ

・・・彩風人の写真帳・・・

白い恋人」パークにやって来ました・・・(札幌市西区宮の沢2-2-11-36)







白い恋人」パーク付属設備のコンサドーレ札幌の専用サッカー練習ピッチ・・・
見たような顔が見えます。
サッカーの天才、元日本代表小野伸二・・・清水商業、浦和レッズ、オランダフェイエルノートなど・・・いまもコンサドーレ札幌の現役選手です。

白い恋人」の石屋製菓はコンサドーレ札幌のオフィシャルスポンサーです。
※撮影日は2017年4月6日 Canon PowerShot G7X。

白い恋人・・・石屋製菓が1976年発売したクッキーにチョコを挟んだお菓子。1972年の札幌オリンピック以後に急速に発展した北海道観光、それまで北海道土産といえばトラピストクッキー、八雲のバター飴がでしたが、いつのまにか北海道の定番土産になりました。安い、軽い、ネーミングがイイ、パッケージが雪の北海道をイメージさせ幻想的。味は普通です。業界で選んだ「20世紀を代表する土産品」一位に。
2011年大阪の吉本興業が「オモ白い恋人」という商品を作りました。シャレだという人もいますがパクリです。日本人の心を貶めました。