【歯痛地蔵】京都府城陽市 寺田駅
久しぶりに“訪れました“シリーズです!今回は京都・城陽市のお地蔵
さんです。このお地蔵さんは今も“歯痛地蔵“と呼ばれ、今も信仰され
ているそうです。
どんなところにあるのか???
寺田駅まではすっと到着。付近を探してみるもわからず、道を歩く人に
聞いてみると『そこの角を左に曲がって少し行ったら「こんなところ通
れるの?」って思える道があるのでそこを曲がって・・・』との事。
そこは大きなスーパーマーケットの横の道で、確かに「こんなところ通
れるの?」って思える道でした。
しばらく行くとあっ、ありました、網フェンスの向こうにお地蔵さん小
屋らしきものが!
近づいていくと屋根は木でできていますが、横後ろはコンクリートで作
られた“小屋”にお地蔵さんがありました。
ですが、よく見ると普通の“お地蔵さん“ではなく、石の板”のような
ものがで~んと置かれていて、そこにかすかに顔のようなものが彫られ
ているのです。
実はこの“お地蔵さん“、元々は石棺の底石として掘り出され、鎌倉時代
に仏像彫刻されたものだったのです。それが、なぜか裏面を上にして寺田
西ノ口を流れる小川にかけられ石橋として使用されていました。そして大
正末期にはずされ、この地の人々によって祀られるようになったのです。
なぜ、“歯痛地蔵“になったのか???
みなさん、わかりますか? パッとひらめく事はありませんか?
小川にかかる石橋の”橋板”として使われていたことから”橋板地蔵“と
呼ばれていたのですが、いつからかなまって”橋板”→”はしいた”→
→・・・→→→”はいた”→“歯痛“から、“歯痛地蔵“と言われるよう
になりました。そして、多くの人々に歯痛にご利益があるお地蔵さんとし
て親しまれるようになったのです。 おもしろいですね。
お地蔵さんと呼ばれていますが、実際は地蔵菩薩ではなく釈迦如来である
ことがわかっています。
久しぶりの“訪れました“でしたが、“歯痛地蔵“、どうだったでしょう?
これからも”歯にまつわるところ“を実際に訪れてここへ載せていきたいと
思いますのでご期待下さい!
久しぶりに“訪れました“シリーズです!今回は京都・城陽市のお地蔵
さんです。このお地蔵さんは今も“歯痛地蔵“と呼ばれ、今も信仰され
ているそうです。
どんなところにあるのか???
寺田駅まではすっと到着。付近を探してみるもわからず、道を歩く人に
聞いてみると『そこの角を左に曲がって少し行ったら「こんなところ通
れるの?」って思える道があるのでそこを曲がって・・・』との事。
そこは大きなスーパーマーケットの横の道で、確かに「こんなところ通
れるの?」って思える道でした。
しばらく行くとあっ、ありました、網フェンスの向こうにお地蔵さん小
屋らしきものが!
近づいていくと屋根は木でできていますが、横後ろはコンクリートで作
られた“小屋”にお地蔵さんがありました。
ですが、よく見ると普通の“お地蔵さん“ではなく、石の板”のような
ものがで~んと置かれていて、そこにかすかに顔のようなものが彫られ
ているのです。
実はこの“お地蔵さん“、元々は石棺の底石として掘り出され、鎌倉時代
に仏像彫刻されたものだったのです。それが、なぜか裏面を上にして寺田
西ノ口を流れる小川にかけられ石橋として使用されていました。そして大
正末期にはずされ、この地の人々によって祀られるようになったのです。
なぜ、“歯痛地蔵“になったのか???
みなさん、わかりますか? パッとひらめく事はありませんか?
小川にかかる石橋の”橋板”として使われていたことから”橋板地蔵“と
呼ばれていたのですが、いつからかなまって”橋板”→”はしいた”→
→・・・→→→”はいた”→“歯痛“から、“歯痛地蔵“と言われるよう
になりました。そして、多くの人々に歯痛にご利益があるお地蔵さんとし
て親しまれるようになったのです。 おもしろいですね。
お地蔵さんと呼ばれていますが、実際は地蔵菩薩ではなく釈迦如来である
ことがわかっています。
久しぶりの“訪れました“でしたが、“歯痛地蔵“、どうだったでしょう?
これからも”歯にまつわるところ“を実際に訪れてここへ載せていきたいと
思いますのでご期待下さい!