【不悪口】(ふあっく)
とてもわかりやすい文字で意味も想像しやすいと思いますが、これは仏教における戒律の”十善戒 ”の
うちの一つでとても奥の深い言葉なのです。
以前 ”悪口雑言 ” をご紹介しましたが、それとも関連があるのでご参照ください。
まずは十善戒から・・・
<十善戒>
不殺生[ふせっしょう] (殺生せず)
不偸盗[ふちゅうとう] (盗みをせず)
不邪淫[ふじゃいん] (ふしだらな行為をせず)
不妄語[ふもうご] (嘘をいわず)
不綺語[ふきご] (お世辞をいわず)
不悪口[ふあっく] (悪口をいわず )
不両舌[ふりょうぜつ] (二枚舌を使わず)
不慳貪[ふけんどん] (欲張らず)
不瞋恚[ふしんに] (そねみ心を持たず)
不邪見[ふじゃけん] (不正な考えをせず)
私たちが生きている中でわかっているけれど、ついついやってしまう事柄をとてもうまく戒めています。
それでは、”不悪口”について書いていきましょう。
文字通り他人の”悪口”や過ちを言いふらさないということと、憎しみや反抗の心を持って”乱暴な言葉”
を使わないという戒めです。
”悪口”(わるくち)に関しては言っている本人に意識があるないにかかわらず、悪口の対象相手より
優越感を得ようとする意識の表れで、一時の快楽を求めていると言われています。これは麻薬と同じ構造
で一時は満たされることはあっても自分自身を蝕み、どんどんエスカレートし、摂取せず(言わず)には
いられないという状態になってしまいます。結局、身を滅ぼす事になるのでしっかりと戒めないといけな
いという事です。
そして、もう一方の”乱暴な言葉”については、元々言葉は自分の意志を伝えるためのものであり、特に
日本語はとても美しく多くの言い回しがある言葉です。そのような言葉を使って相手を不快にさせたり、
怒らせたりして、いざかいを生じさせる事は言葉本来の目的ではありません。よって言葉を凶器のように
用いる事もしっかりと戒めないといけません。
解釈として「本人の前で言える事は悪口ではなく、本人がいる前で言えない事を言うな」というものも
ありますが、本人が目の前にいて”乱暴な言葉”(意味も含めて)すれすれの事を言うぐらいなら、最初
からそんな言葉自体も言わない方がいいでしょう。
こうやって書いていくと、とても道徳的で「”不悪口”の戒めなんて簡単だ!」という声が聞こえてきそう
です。確かに不悪口だけを守るなら簡単かもしれませんが、この十戒をもう一度見てください。不妄語
(嘘をいわず)、不綺語(お世辞をいわず)、不両舌(二枚舌を使わず)・・・話しをすることだけでこれ
だけの戒めがあるのです。その他の戒めとあわせて一つ一つを守るとなると、とてもとても大変で無口に
なって行動も萎縮してしまいそうです。 だから、これらの戒めは常に心のどこかおいていて、思い起こす
ことによって変化が生まれてくると考えればいいようです。
仏教だけでなく、宗教に関することは奥が深く『なるほどなぁ~!』と感心させられることが多いですが、
解釈が難しい!という感はありますね。
今回の”不悪口” おわかりいただけましたか?『何書いてるのか全然わからん! 説明ヘタやなぁ!』
っと悪口言わんといてくださいね!
とてもわかりやすい文字で意味も想像しやすいと思いますが、これは仏教における戒律の”十善戒 ”の
うちの一つでとても奥の深い言葉なのです。
以前 ”悪口雑言 ” をご紹介しましたが、それとも関連があるのでご参照ください。
まずは十善戒から・・・
<十善戒>
不殺生[ふせっしょう] (殺生せず)
不偸盗[ふちゅうとう] (盗みをせず)
不邪淫[ふじゃいん] (ふしだらな行為をせず)
不妄語[ふもうご] (嘘をいわず)
不綺語[ふきご] (お世辞をいわず)
不悪口[ふあっく] (悪口をいわず )
不両舌[ふりょうぜつ] (二枚舌を使わず)
不慳貪[ふけんどん] (欲張らず)
不瞋恚[ふしんに] (そねみ心を持たず)
不邪見[ふじゃけん] (不正な考えをせず)
私たちが生きている中でわかっているけれど、ついついやってしまう事柄をとてもうまく戒めています。
それでは、”不悪口”について書いていきましょう。
文字通り他人の”悪口”や過ちを言いふらさないということと、憎しみや反抗の心を持って”乱暴な言葉”
を使わないという戒めです。
”悪口”(わるくち)に関しては言っている本人に意識があるないにかかわらず、悪口の対象相手より
優越感を得ようとする意識の表れで、一時の快楽を求めていると言われています。これは麻薬と同じ構造
で一時は満たされることはあっても自分自身を蝕み、どんどんエスカレートし、摂取せず(言わず)には
いられないという状態になってしまいます。結局、身を滅ぼす事になるのでしっかりと戒めないといけな
いという事です。
そして、もう一方の”乱暴な言葉”については、元々言葉は自分の意志を伝えるためのものであり、特に
日本語はとても美しく多くの言い回しがある言葉です。そのような言葉を使って相手を不快にさせたり、
怒らせたりして、いざかいを生じさせる事は言葉本来の目的ではありません。よって言葉を凶器のように
用いる事もしっかりと戒めないといけません。
解釈として「本人の前で言える事は悪口ではなく、本人がいる前で言えない事を言うな」というものも
ありますが、本人が目の前にいて”乱暴な言葉”(意味も含めて)すれすれの事を言うぐらいなら、最初
からそんな言葉自体も言わない方がいいでしょう。
こうやって書いていくと、とても道徳的で「”不悪口”の戒めなんて簡単だ!」という声が聞こえてきそう
です。確かに不悪口だけを守るなら簡単かもしれませんが、この十戒をもう一度見てください。不妄語
(嘘をいわず)、不綺語(お世辞をいわず)、不両舌(二枚舌を使わず)・・・話しをすることだけでこれ
だけの戒めがあるのです。その他の戒めとあわせて一つ一つを守るとなると、とてもとても大変で無口に
なって行動も萎縮してしまいそうです。 だから、これらの戒めは常に心のどこかおいていて、思い起こす
ことによって変化が生まれてくると考えればいいようです。
仏教だけでなく、宗教に関することは奥が深く『なるほどなぁ~!』と感心させられることが多いですが、
解釈が難しい!という感はありますね。
今回の”不悪口” おわかりいただけましたか?『何書いてるのか全然わからん! 説明ヘタやなぁ!』
っと悪口言わんといてくださいね!