むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

鳥羽城(三重県)

2020年08月14日 | 百名城以外の城
鳥羽城とばじょう
別名鳥羽の浮城・錦城・二色城
構造海城
築城者九鬼嘉隆
築城年代1594年(文禄3年)
指定史跡県指定史跡
場所三重県鳥羽市鳥羽3-4 地図
御城印鳥羽市観光協会
城郭検定出題あり

鳥羽城は、1594年(文禄3年)九鬼嘉隆が築城し、
以後九鬼水軍の本拠地となりました。
関ヶ原の戦いでは、息子の守隆は東軍につき、嘉隆は西軍についたため、
守隆が父の助命を願い出て許されたたが、
家臣の間違った命令が原因で嘉隆は答志島で自害しました。
その後たびたび城主が交代しましたが最後は稲垣昭賢が入国し、
明治維新を迎えることとなりました。


三の丸

麓にある三の丸は、城の玄関口として整備されました。



岐阜県の岩村城を思い出させる段状の石垣。
苗木城主の遠山氏の影響か?などと勝手な想像をしてみたりして



鳥羽水族館から見えるこの部分が、とても気になるんですよね。
ここを通りかかったら絶対目に付きます!


パンフレット

あづまやの裏にある案内板の列の中央に扉があります。
扉を開けるとパンフレットが置いてあります。


二の丸と大手水門

線路と国道42号線の辺りに二の丸御殿が建っていました。
奥の鳥羽水族館の建つ場所には大手水門がありました。



途中運転を誤ったら三の丸に落ちてしまいそうな細い道を抜けて
旧鳥羽小学校へ。


駐車場

本丸南西側の下に駐車場があります。
道中すれ違いは出来ませんが、駐車場には15台ほど駐車出来ます。


旧鳥羽小学校

旧鳥羽小学校はこれでも、国の有形文化遺産です。
建てた当時は鉄筋コンクリート造りの校舎が珍しかったそうです。



国の有形文化遺産とはいうものの、おばけが出そうな荒れようです
娘はお城よりも、こちらの廃墟の方が興味津津


本丸南の石垣

草で見えないのですが、石垣に水抜き穴が開いているはず…。
(一応穴は確認出来ました)



いざ、本丸へ!


本丸

かつて望楼型の三重天守と本丸御殿がありました。
後に小学校のグラウンドとして使われていたそうですが、
こんな眺めの良いグラウンドとは羨ましい!
体育の苦手な私でも、ここなら何か運動したくなります


本丸御殿跡

本丸御殿は上段の間に床、棚、付書院、帳台構えの格式の高い
書院があったことが判明しています。


大井戸跡

大井戸は「雄井戸」と呼ばれ、本丸御殿に伴う大きな井戸でした。
岩盤を刳り抜いた素堀の井戸で、直径約2.7m、深さは当初45mあったとされていますが、
約17mまで埋められていました。
近年では小学校のグラウンド建設のため蓋がされ、現在も発掘調査後は蓋をして埋め戻されています。
井戸には龍が住み、相島へ通じているという言い伝えもあります。


眺望

奥に見える島が、九鬼嘉隆の胴塚、首塚がある答志島です。
関ヶ原の戦いで西軍に属した嘉隆は西軍敗北で答志島へ逃れ洞泉庵で切腹しました。



鳥羽城は九鬼水軍が有名ですが、城主の交代の中に苗木城主遠山氏や松本城主松平氏、
古河城主土居氏など、海無し県から多く入っていることに驚きました。
水軍を使うのは得意ではなさそうで、海城向きではないのでは?と思ったりもします。
しかし、それが徳川の狙いであまり脅威にならない人選をしたのかなあとも感じました。


本丸西の石垣

鳥羽城の代表的な遺構の石垣です。
鳥羽城の石垣の石材は、カンラン岩と千枚岩を使用しており、
近くの海岸で採取したものと考えられています。


鳥羽城詩碑

鷹羽龍年の鳥羽城詩碑があります。



三の丸、二の丸を見下ろす。
造船場が建設されたため、残念ながら遺構は残っていません。






右へ下ると家老屋敷跡へ。左の階段を下ると先ほどの三の丸広場へ。
そしてここは城山公園です。
この曲輪にはかつて、太鼓櫓がありました。


城山公園

公園として、トイレやモニュメント、ベンチや遊具が設置されています。
今の時期、ちょっと草木が元気なので眺望の妨げになってしまいますが、
ここからも鳥羽湾がきれいに見えます。



フォトスポットかな。
若者のデートスポット
鳥羽に来たぞというわかりやすい記念写真が撮れますよ



更に一段下がった曲輪があります。



大手門が海に向って水門になっているという九鬼水軍の城の特徴です。
ちなみに海に面する水門は全部で4つありました。
また、この真下の現在駐車場になっている場所は馬場でした。



これを下ると、妙慶川方面に出ます。
水堀はほとんど埋め立てられてしまいましたが、
ここだけ残っています。



下りきった所です。
津波の際は、ここを登って非難する「津波避難場所」看板も設置されています。
というのも、昔からたびたび大きな災害に見舞われていて、
1707年(宝永4年)、1854年(嘉永7年)の南海トラフ地震で
地震と津波の被害を受けているため、高台となる鳥羽城跡に非難するよう
城下では「津波避難場所」看板が見受けられます。


相橋口門

武士が武家屋敷から鳥羽城へ上がる祭に使用した橋です。
ここを境に志摩国と伊勢国の国境としていました。
鳥羽城側には相橋口門があり、志摩国と伊勢国が出会う橋ということで
「相橋」と呼ばれるようになりました。


水堀

妙慶川は鳥羽城の堀の役割を果たしていました。
ほとんどが埋め立てられてしまっているので、ここが
唯一の堀の遺構が見られる場所です。


石垣

相橋下の石積みは、江戸時代から残る堀の一部が残されたものです。
石垣は、この橋の下だけ残っています。


家老屋敷跡

家老屋敷跡には野面積みの石垣が残っています。



石垣の奥に続く細道。
その先には…

大山衹神社

大山衹神社があります。
もちろん、他にちゃんと鳥居のある参道が相橋側にあります。



左は家老屋敷跡、右は市民文化会館の駐車場があります。



家老屋敷跡には、旧鳥羽幼稚園がありました。





鳥羽水族館には子供を連れて2回来ているのですが、「鳥羽城あるんだよね~」と言って
水族館から眺めて、国道と線路を走って渡って見に行って来れないかなあ~なんて
思って水族館側から写真撮ったりもしたのですが、やっぱりちゃんと登城したいと
ずっと思っていたので、やっと念願叶いました。


令和2年7月24日登城


今回の参考本




4 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
お城巡り (えっきゅん)
2020-08-16 16:56:25
はじめまして、ランキングから来ました。
お城巡り、好きです。
最近出かけていません。色々な所に行きたいのですが、中々です。またゆっくり覗きに参ります。
Unknown (むぎ)
2020-08-17 20:41:09
えっきゅんさまへ
はじめまして。
私も、もっといっぱいお城巡りしたいのですが、今は暑さと藪との戦いになるので控えています。
もう少し涼しくなったら、いっぱい巡りたいと思っています。
またお暇な時にブログを読んで頂けたら嬉しいです。
本日はご訪問有難うございました。(^^)
Unknown (妖怪千年おばば)
2020-08-23 10:15:50
むぎさん、おはようございます。
鳥羽には、私も家族と大分前に行きました。
水族館、懐かしいです。ラッコ目当てで言ったのですが、残念ながら愛らしいお食事タイムではなかったので、最初見たときは、”なんか、毛皮が浮いてる?!”と、ビックリ。
(笑)
こんなに素敵な城跡があったんですね!
知りませんでした。アップ、有難うございます。
城跡には、結構、学校がありますね。
私は、山形県の上の山に行った際、城の敷地内にあった高校を改装したホテルに泊まりました。夏の夕暮れ、雷が鳴り、部屋のテレビが、突然、画面が消えてジージーという何やら不吉な音がし始めました。
”キター!怪奇現象!”
と、子供たちとはしゃいだ思い出があります。笑
大浴場に行くときは、
”そろそろ出てくるかな~ユーレイとか。”
などど、子供たちとゾクゾク感を楽しみました。
むぎさん、突然のお願いで申し訳ありません。
実は、”黒い城”の代表的な所を教えていただきたいのですが。
私の中では、松本城。熊本城も黒だったような気が。他に、むぎさんのおすすめはありますか?
むぎさんが記事を書かれているなら、どちらを拝見すればよいかも教えて頂けたら、嬉しいです。
よろしくお願いいたします。
Unknown (むぎ)
2020-08-23 11:56:52
妖怪千年おばばさまへ
鳥羽水族館は、我が家は子供らが深海生物の「ダイオウグソクムシ」が見たい!というので連れて来ました。その後死んじゃったみたいで、死んじゃう前に見せられて良かったと思いました。

黒い城と言えば、岡山城、松江城が思い浮かぶのですが、伊予松江城、大洲城、白河小峰城あたりがあるかなあ。
中でも私の推しは「松江城」です。
唐破風が使われいないのでちょっとシンプルに見えるのですが、その飾り気が無い所が男らしい?カッコいい城だなあと惚れてしまいました
近場では、やはり松本城は何度でも行っちゃいますね(^^)

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