むぎの城さんぽ

日本100名城&続日本100名城を巡っています。
近頃は山城歩きもエンジョイしてます!

野本館(埼玉県)

2018年07月11日 | 陣屋・館
野本館のもとやかた
別名
構造居館
築城者野本基員
築城年代鎌倉時代
指定史跡市指定史跡
場所東松山市下野本 地図

野本基員を初代とする野本一族の館跡で、平安時代の公卿藤原基経の家の警護をしていた片田基親の子息基員が
武蔵国野本に移り住んで野本左衛門と名のったのが、野本氏の始まりと言われています。
館は現在、無量寿寺の境内地となっており、本堂の北側で土塁と堀がわずかに確認できるのみとなっています。



無量寿寺

無量寿寺の駐車場をお借りして散策をしました。
道路を挟み物見とされた野本将軍塚古墳(前方後円墳)も合わせて見て来ました。


標柱

無量寿寺の入口には野本氏館跡の標柱があります。


案内看板

無量寿寺の山門脇にある案内看板です。


将軍塚図

江戸時代の武蔵国の様子を書いた「新編武蔵風土記稿」の無量寿寺の項には
「寺領の外境内一万四千坪、境の廻り四方に堤を築き、堀の跡残れり」とあり、
ここに掲げられた「将軍塚の図」には土塁や堀の様子が描かれています。


山門

「利仁山」の扁額が掲げられています。


四国八十八ヶ所霊場参拝記念

ここには十二支の御守本尊が並んでいます。
とりあえず、自分の御守本尊をみつけて合掌。


本堂

本堂を見上げると葵の御紋があります。
関ヶ原の合戦では尾張徳川に参陣し武功をあげています。
徳川家康が関東入国した1591年(天正19年)に、寺領10石の御朱印状を受領したとも
言われているのでこのような葵の紋が入っているのでしょう。


道元禅師像

無量寿寺は曹洞宗のお寺さんだそうで、曹洞宗の宗祖・道元禅師の像がいらっしゃいます。


十二支像

奉納者を募集しているようでしたが、見るとすでに十二支すべて揃っていました。


土塁

外側の土塁と堀は当初からのものでなく、後世の増築によるものと考えられています。


石碑

この奥はお寺なのでお墓がいっぱいです。


山門(内側)

無量寿寺をあとにして、野本将軍塚古墳へ行ってみようと思います。


野本将軍塚古墳

こんもりとした大きな土盛の麓に案内看板があります。


案内看板

昭和35年に県指定史跡になった県内有数の大きさを誇る前方後円墳です。



無量寿寺から真直ぐ道が抜けています。


鳥居

朱色の鳥居が見えて来たので、ここから将軍塚へと登ってみました。



階段などで道は整備されています。
道の通りに階段を進むと頂点にある利仁神社に到着します。


利仁神社

現在木々で物見にはならないですが、周囲が平なだけに高低差はあまりないのに物見に
使えてしまう構造です。
が、ここは将軍さまのお墓です。^^;



野本氏館とは深い縁がある古墳で、将軍塚図にも一緒に描かれているように
戦国期にも重要な場所であったことがうかがえます。
また、無量寿寺の山門の扁額にも記されている利仁山とあるように地元風土記によると
利仁将軍が登場していることや、利仁将軍が最初に寺を建立していることから
深く関わりあっていることが見えてきます。


石碑

よくわからないが、古墳にいろいろな石碑が建てられています。
将軍ゆかりのものならば良いのですが…よくある戦争の慰霊碑みたいなものでしょうか。


忠魂碑

ここにも忠魂碑です。
昔の人のお墓の上に建てちゃうあたりはどうなんでしょう…。





古墳までも利用した野本氏館(陣屋)ですが、城郭と古墳がいっぺんに両方見られる
ちょっとお得感感じる史跡です。
城館、陣屋としてはそれほど遺構が残っているわけではないですが
将軍塚といっしょに歴史を掘り起こしてみると結構面白いんじゃないでしょうか。
無量寿寺山門脇の案内看板にある将軍塚図の絵(水墨画?)なんかも私は好きです。



平成30年6月17日登城



江戸三百藩大全 全藩藩主変遷表付 (廣済堂ベストムック287号)
中山 良昭
廣済堂出版

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